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楽天・田中将大投手(19)が22日、今季も奪三振にこだわることを宣言した。Kスタ宮城の室内練習場で自主トレに臨んだ右腕は「(三振は)できるだけたくさん取りたい」と明言。07年の新人王は最多奪三振のタイトル奪取を視野に入れた。

 昨季はダルビッシュ(日本ハム)に次ぎ、リーグ2位の196奪三振。奪三振率は9.47でリーグトップだった。「当然、追い込んだら狙っていきます」と力強く言い切った。昨季、基本的には120球とされてきた球数制限は撤廃する。「球数を考えすぎると勝負を急いでしまうので、あまり意識はしないようにします。でも、無駄な球はなくして、ストライク先行でいきます」

 この日は仙台入り後、初のブルペンで捕手を立たせて32球を投げた。野村監督が3年契約最終年となる08年。孝行息子が今季も三振の山を築き、チームを支える。

参照元:スポーツ報知

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日本ハムの高校生ドラフト1巡目、中田翔内野手(18=大阪桐蔭)がアクシデントに見舞われた。22日、千葉・鎌ケ谷のファイターズタウンで行われた新人合同自主トレ中に、「巻き爪」による痛みを訴えた。少し腫れた左足親指を見せながら、「メッチャ痛い。ズキンズキンする」と苦悶(もん)の表情を浮かべた。

 白水トレーナーは「スパイクを履いて親指にストレスがかかれば、良くあることです」と説明したが、本人は「昨日までとやったメニューは同じなのに」と困惑。患部の影響か、室内練習場でのフリー打撃も17スイングで安打性8本と精彩を欠き、左足を引きずりながら寮に戻った。

 それでも、不幸中の幸いなのが、23日が自主トレ休日であること。塗り薬と抗生物質の薬を受け取った中田は「すぐに治りますよ」と軽症を強調した。24日からの練習には、通常通りに参加できる見込みだ。

参照元:スポーツ報知

 楽天の片山博視投手(20)が22日、Kスタ宮城の室内練習場で力のこもった投球練習を行い、存在感を示した。変化球も交えての45球に「1、2年目よりいい状態」と手応え十分の表情だ。

 05年に報徳学園高から鳴り物入りで入団したホープも3年目。ドラフトでは、広島との競合の末に島田オーナー(当時は社長)が引き当てた192センチ、100キロの超大型左腕。1、2年目は左ひじの故障などもあり、1軍での登板はなかったが、周囲の期待は依然として高い。

 「田中には引き続き頑張ってもらいたいし、長谷部は即戦力。片山にも頑張ってほしい」7日の必勝祈願の際、島田オーナーは昨季の勝ち頭、黄金ルーキーと並べて名前を挙げた。紀藤投手コーチも奮起を促しており、沖縄・久米島キャンプは1軍スタートの予定。本人も「2年間、期待を裏切っている。今年は正念場」と自覚も十分だ。

 今オフには、新兵器としてシュートの習得に着手。「前から若干(直球が)シュートする感じだったので…。左打者を、インコースで詰まらせたい」と狙いを説明する。同じ左腕の長谷部の加入も大きな刺激。「現時点では負けているので、長谷部さんにないものをアピールしたい。キャンプではそれを探りたいし、いいものは盗みたい」と意欲を見せる。大きな体にあらゆるものを吸収させ、大器は開花を目指す。

参照元:スポーツ報知

日本代表・星野仙一監督(61)が22日、日本ハムの高校生ドラフト1巡目、中田翔内野手(18=大阪桐蔭)を、2008年北京五輪日本代表の第1次候補メンバーに入れることを明言した。この日、自身がCM出演する食品会社のイベントに参加した闘将は、「打撃ではオリンピック候補やね。(代表候補に)入れておけばいい」と断言。ルーキーで開幕から目覚ましい成績を残せば、20年に1人の逸材と呼ばれる怪物が、星野JAPAN入りする可能性が出てきた。

 報道陣を通して“朗報”を伝え聞いた中田は、いつになく声を弾ませた。「ホンマっすか? うれしいっすね! そう言ってもらえるだけで光栄です」あこがれのJAPANに一歩前進した喜びが、満面の笑みに表れていた。

 日本代表には広島鯉城シニアに所属した中学時代に選出されたが、プロの戦士たちが集まる夢舞台は、怪物にとっても特別だ。「やばいっすね。日の丸を背負うなんて、やばいっすよ」野球は北京五輪を最後に、種目から除外されることが決定済み。中田にとって、最初で最後のチャンスを逃すわけにはいかない。

 激闘が日の丸への思いを一層、強くさせた。昨年12月。台湾で行われた北京五輪アジア予選の全3試合を、中田は高校の寮でテレビ観戦していた。明日なき戦いで闘志をむき出しにする代表選手の姿に、「久しぶりにしびれる試合でした」と感動。「(代表に)選ばれたら最高だし、実現させるためにキャンプで最善を尽くすだけです」と力強く意気込んだ。

 アピールの機会は間もなくやってくる。星野監督を含む代表スタッフは、2月9日に日本ハムのキャンプ地、沖縄・名護を訪れる予定。「その時は、メッチャ頑張らないといけないっすね」当日は実戦こそ入っていないが、フリー打撃などで自慢のパワーを見せつけるつもりだ。新人王を目指す2008年に、新たなモチベーションが加わった。

参照元:スポーツ報知

日本代表・星野仙一監督(61)が22日、日本ハムの高校生ドラフト1巡目、中田翔内野手(18=大阪桐蔭)を、2008年北京五輪日本代表の第1次候補メンバーに入れることを明言した。この日、自身がCM出演する食品会社のイベントに参加した闘将は、「打撃ではオリンピック候補やね。(代表候補に)入れておけばいい」と断言。ルーキーで開幕から目覚ましい成績を残せば、20年に1人の逸材と呼ばれる怪物が、星野JAPAN入りする可能性が出てきた。

 1年間の月日が過ぎても、星野監督の中田に対する評価は不変だった。「ピッチャーではそこそこだけど、バッターではオリンピック候補やね。代表候補に入れておけばいい」高卒1年目、しかも春季キャンプすら始まっていないこの時期に、プロデビュー前の怪物に代表候補入りの“内定”を出した。

 昨年1月26日、星野JAPAN発足の翌日だった。超高校級スラッガーとして注目を集めていた中田について、指揮官は初めて言及。「代表に欲しいな、入れたいな、と言われる成績ならあるでしょう」とラブコールを送っていた。あれから1年。順調に成長して、高校通算87本塁打の記録を引っ提げ、プロの扉を叩いた大物ルーキーを「10年、20年に1人の逸材」と断言。未知の魅力にあふれる18歳に心を奪われるのは当然だった。

 3月中に第1次候補を発表するが、北京五輪に出場できるのは24選手だけ。しかも本番は予選7試合、決勝リーグ2試合の計9試合のため、アジア予選よりも野手を減らして、投手陣を増やす方向だ。中田にとっては非常に狭き門だが、星野監督は難関を突破できるだけの素材と認めた。

 「プロのストレートには対応できるやろ。あとはインコースをどうさばくか。ストライク、ボールを判断できるかやね」課題を挙げたのは期待の裏返し。さらに「2軍では育たん。俺が監督なら、当然使い続けるよ。中日時代に立浪、(福留)孝介も使ってきただろ」と、持論を展開しながら、梨田監督にも注文を出した。

 2月から各球団の春季キャンプを視察。9日には日本ハムを訪れる予定だ。「恋人がいるって言ったの? おもろいヤツやないか。俺らは(中田の)応援団だから。あとは首脳陣が使い続けようと思う選手になるかどうかだね」ジャパンの指揮官は最後までエールを送り続けた。常識を超え、高卒1年目で怪物級の活躍ができれば、闘将と怪物のタッグが現実味を帯びてくる。

参照元:スポーツ報知

世界一トロフィーが日本に初上陸する。「08リコーMLB開幕戦」(3月25、26日19時開始=東京ドーム)の公式発表が22日、都内のホテルで行われ、レッドソックスのラリー・ルキーノ球団社長(62)らが出席。同社長は昨年、ワールドチャンピオンに輝いたトロフィーを伴って来日することを明言した。

 滝鼻・読売新聞東京本社代表取締役会長、根来コミッショナー代行、MLBのアーチー副社長らと並んで座ったひな壇で、ルキーノ社長は極上のプランを披露した。「トロフィーはオーナーの部屋やケースの中にあるべきものではない。日本にいる米国人を含めたすべての国籍の人、Rソックス・ファンに見てもらって喜びを分かち合いたい」世界一の証しを日本のファンにお披露目すると約束した。

 世界一チームの来日は史上初、トロフィーが日本上陸を果たしたことはない。スケジュールは未定だが、来日期間中に東京ドームのグラウンドでお披露目したり、球場周辺に展示して観戦に来たファンに見てもらう可能性もある。ラミレスやオーティズ、松坂、岡島が手にしたトロフィーを間近で目にするチャンスが訪れそうだ。

 これには「マツザカさん、オカジマさんの貢献なしで世界一はなかった」という日本への感謝の気持ちと、「MLBに関してはRソックス・ファンになってほしい」という球団社長の願いが込められている。日本のファンへの大きな“お土産”が日本開幕戦に花を添える。

参照元:スポーツ報知

 2005年に著書で、自身を含む元大リーガーのドーピングを暴露したホセ・カンセコ氏が暴露本第2弾を出版する。AP通信が22日、報じた。

 大リーグの米国での本格開幕に合わせて3月31日に発売される本のタイトルは「ビンディケーテッド(立証された)」。前作と同様、ドーピングに関する内容だという。(共同)

参照元:スポーツ報知

今季からコーチ兼任となる中日の立浪和義内野手(38)が21日、現役続行に意欲を見せた。この日、井上、井端、荒木、英智とともに名古屋市の名古屋第一赤十字病院を慰問。「僕には打つことしかない。それにかけるしかない」と衰えぬプライドをのぞかせた。

 プロ21年目のシーズンへの思いは人一倍だ。1月上旬から米グアムで行ってきた合同自主トレでは、例年になく打ち込んだ。ここ数年は自主練習を許可された沖縄・読谷キャンプでスロー調整を続けてきたが、「ここ10年くらいでは一番早く仕上げた。2月1日を見て下さい」と言い切った。

 通算2500安打まであと56本、2500試合出場までは77試合と射程圏内。グアムでの自主トレでは中田や浅尾、岩崎ら若手に野球に取り組む姿勢などを伝えてきたが、指導だけに落ち着くつもりはない。バットマンとして、もう1度輝きを取り戻すつもりだ。

参照元:スポーツ報知

 ソフトバンクの大学・社会人ドラフト3巡目、久米勇紀投手(22)=明大=が21日、選手寮にLAN回線設置を熱望した。明大では農学部に在籍した理系ルーキーはノートパソコン持参で入寮。部屋に回線がなかったため、さっそく自室への設置を求めた。

 福岡・西戸崎室内練習場での新人合同自主トレで初めてブルペンへ。立ち投げで約30球を放ったサイド右腕には悩みがあった。「パソコン? 使ってません。部屋には電話回線もないので。LANカードを自分で買おうとは思ってますけど」パソコンは野球面でも動作解析などに愛用していた。東京・府中市の明大「島岡寮」では、各部屋に無線LANが配備されていた。

 ブルペンでは、真横で大学・社会人1巡目の大場も37球。「大場はやっぱりライバル」とパソコンを駆使して、チームメートとの競争に勝つ。

参照元:スポーツ報知

楽天の田中将大投手(19)が21日、本拠地・Kスタ宮城での自主トレを開始。順調な仕上がりをアピールし、2年目のジンクス打破の第一歩として、沖縄・久米島キャンプ紅白戦での味方打線完封を宣言した。

 この日はキャッチボール程度の軽い調整だったが、すでに大阪、札幌で捕手を座らせての投球を始めており、「肩は出来てます」と余裕の表情。首脳陣が1軍投手全員に求めている2月1日のブルペン入りはもちろん、例年より早い6日の初紅白戦にも「行けと言われたら行きますよ」と意欲を見せた。

 紅白戦にこだわるのは理由がある。「去年、ボコボコに打たれましたからね」昨年は登板した2試合で2本ずつアーチを浴びるなど、プロの洗礼を受けた。味方が相手とはいえ、同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。「投げるからには抑えたいです」とリベンジへ闘志満々。2年目の目標として、具体的な数字ではなく「投げる試合は1つずつ全力で勝ちにいくこと」を掲げた。まずは楽天打線から幸先のいい“1勝目”を挙げる。

 ◆マー君の昨季の紅白戦 昨年は久米島キャンプで2試合に登板。実戦デビューした2月15日の試合では、高須に左越えソロ、ウィットに人生で初めてバックスクリーンを越える160メートル弾を浴びるなど2回2失点。19日の試合でも、リックと中谷に被弾するなど3回2失点。いずれも直球を痛打され、「プロではいくら速くても打たれる。考え方を変えないと」と反省した。

参照元:スポーツ報知

 阪神の高校生ドラフト1巡目ルーキー・高浜卓也内野手(18)=横浜高=が21日、「半日睡眠」で新人合同自主トレの疲労回復に努めていることを明かした。兵庫・鳴尾浜球場での練習後、「寝たら疲れが取れるかなと思って。疲れは緊張感を持ってやってるので多少はあるけど、そこまでない」と、睡眠効果に自信をのぞかせた。

 練習後すぐに約2時間の昼寝を開始。起きて午後6時に夕食を取ると、また仮眠する。目を覚ますと夜間の打撃練習を敢行。午後11時半には布団に入り朝7時半までしっかり眠るという計12時間睡眠で、みんなが「きつい」と声をそろえるトレーニングの疲れも吹っ飛ばしている。

 横浜高時代に、睡眠の重要性を実感した。「『昼寝しろ』と言われてました。それから30分とか1時間とか区切って寝るようになった」夏の県大会期間中などは恩師・渡辺監督からの昼寝指令で、睡眠の重要性に気付いたという。今まで寝られず困ったという経験がなく、布団がなくてもどこでも寝られるという“安眠王子”が、疲労に負けずキャンプで最高のアピールを披露する。

参照元:スポーツ報知

中日にフリーエージェント(FA)で移籍した和田一浩外野手(35)の人的補償選手として西武入りが決まった岡本真也投手(33)が21日、埼玉・所沢市内の球団事務所で会見。同席した渡辺監督は守護神を任せる可能性も示唆した。

 中日では中継ぎの柱として4年連続50試合以上登板を達成したタフネス右腕は、「やりがいを感じるし、やってやろうという気持ち。昨年以上の成績を残して優勝に貢献したい。最低60試合は投げたい」と闘志をみなぎらせた。抑えの小野寺へつなぐセットアッパーとして、渡辺監督は「抑え? 可能性はあると思います」と期待。岡本自身も「1度はやってみたいポジション」と自信をのぞかせた。

 移籍の知らせは自主トレ先の伊豆でゴルフのラウンド中に受けたといい、「18番ホールでドライバーを抜こうとした瞬間に電話が鳴った」と苦笑い。「動揺? 全然。ナイスショットでしたよ」と相変わらずの強心臓ぶり。背番号は中日時代と同じ12に決定。1月中は名古屋で自主トレを続け、キャンプインする。

 ◆岡本 真也(おかもと・しんや)1974年10月21日、京都府生まれ。33歳。ヤマハから00年のドラフト4位で中日に入団。3年目から中継ぎとして活躍し、04年から4年連続で50試合以上登板。04年には最優秀中継ぎ投手賞を獲得した。183センチ、95キロ。右投右打。家族は妻と1女。

参照元:スポーツ報知

今季のクライマックスシリーズ(CS)で、1位チームに1勝のアドバンテージが導入される可能性が出てきた。21日、セ・リーグが理事会で検討、実行委員会で提案して議題に上がった。3月の実行委員会までに結論を出す。

 巨人・清武球団代表は第2ステージについて「1位チームにアドバンテージをつけて6試合制にする。こうすると1位は3つ勝てばいいが、2位(または3位)は4つ勝たないといけない」と案を披露した。リーグ優勝を尊重し、興行的にも最低3試合が確保できる。実行委員会の豊蔵一議長=セ・リーグ会長=は「内容はこれからだが、セとパで同じ方式にしたい。なるべく早く方針を決めたい」と話した。

参照元:スポーツ報知

ヤクルトの大学・社会人ドラフト1巡目ルーキー・加藤幹典投手(22)=慶大=が21日、埼玉・戸田の2軍グラウンドで行われている新人合同自主トレで2度目のブルペン入り。54球の力のこもったピッチングを披露した。すでに全球種を投げ始めた由規らのペースに惑わされることなく、1月中は変化球を封印し、フォーム固めに専念する。

 自信のマイペース調整だ。途中から捕手を中腰にさせ、直球だけの投球。左腕は「今日は8割ぐらいの力で、フォームを意識しました。変化球はキャンプに行ってからじゃないですか。この時期は、指先の感覚とフォームを固めることが大事」。周囲に影響されることなく自らの考えを貫いている。

 すべては開幕からの逆算だ。当面の目標を、3月上旬のオープン戦で本来のピッチングができることに設定。サバイバルレースを生き残るために、慌てることなく調整を進めていく。

参照元:スポーツ報知

阪神、大洋(現横浜)などで活躍した野球解説者・加藤博一さんが、21日午後零時54分、肺がんのため横須賀市内の病院で亡くなった。56歳だった。通夜は23日午後7時、葬儀、告別式は24日、午後1時から、いずれも神奈川県逗子市逗子3の1の17 延命寺(えんめいじ)で。喪主は妻・晴代(はるよ)さん。

 関係者によると、加藤さんは06年2月、肺に腫瘍(しゅよう)が見つかり、解説者などの仕事を休養して都内の病院に入院。昨年2月、左肺の摘出手術を受けた。その後、日米のキャンプ取材を精力的に行えるまでに回復。ペナントレース開幕後もグラウンドに姿を見せていた。

 しかし、7月。左大腿(たい)骨にがんの転移が見つかり再入院。放射線治療を受けるなど入退院を繰り返していた。秋には一時的に退院したが、今月7日、全身に痛みを訴えて横須賀市内の病院に入院。21日に容体が急変して帰らぬ人となった。

 現役時代は記録よりも記憶に残るプレーヤーだった。1970年、佐賀・多久工から西鉄(現西武)に入団。76年に阪神に移籍して外野のレギュラーに定着した。初本塁打は巨人・江川卓投手からマークした。83年、大洋に移籍。85年には近藤貞雄監督のもと、俊足の高木豊、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」を結成。3人でシーズン148盗塁をマークするなど、韋駄天ぶりを発揮した。ひょうきんなキャラクターで、オフにはバラエティー番組にも出演し、人気者になった。

 90年に現役を引退。解説者だけではなく、タレント活動も行うなど多方面で活躍した。所属事務所であるアクアプロモーション・佐藤道夫代表(56)は、逗子市内の加藤さんの自宅前で取材に応じ、「昨年末に会った時は元気で、今年の野球取材の準備について話していました」と現場復帰の意思を強く持っていたことを明かした。闘病中、「周囲に心配をかけたくない」と、ごく近い関係者にしか病状を伝えていなかった。突然の訃報(ふほう)に、阪神、大洋時代の恩師、チームメートなど関係者は驚きと悲しみに包まれた。

 ◆加藤 博一(かとう・ひろかず)1951年10月9日、佐賀県生まれ。佐賀・多久工から70年、ドラフト外(テスト生)で西鉄入り。76年に阪神へ移籍。80年にはリーグ5位の打率3割1分4厘。83年に大洋(現横浜)に移籍し、スーパーカートリオの1人として活躍。86年にはオールスターに出場した。90年に現役引退。選手生活21年で優勝経験はない。91年からフジテレビ系の野球解説者になり、タレントとしても活動した。

参照元:スポーツ報知

日本ハムの高校生ドラフト1巡目ルーキー・中田翔内野手(18)=大阪桐蔭=が21日、「平成元年会」を発足させることに意欲を見せた。この日、中田は他の高卒新人5選手とともに、千葉・鎌ケ谷のファイターズタウンでJRA競馬学校(千葉・白井市)騎手課程の生徒との交流会に参加。同い年のジョッキーの卵と今後の活躍を誓った。中田は野球だけでなく、他競技の同級生も含めた会を設立し、スポーツ発展に尽くすつもりだ。

 “世代の顔”として、次代の子供たちに何かを残したい―中田が壮大なプランを披露した。「同期のみんなで野球教室とかやってみたい。今まで受けて(出て)いた側なので、今度は自分たちがやりたい。(子供たちも)絶対、受けてみたいと思うはず」怪物は目を輝かせながら、早口でまくし立てた。

 この日、中田は千葉・白井市のJRA競馬学校騎手課程の生徒3人との交流会に参加した。学校と日本ハムの鎌ケ谷練習場が近いことから実現した催しだが、同期ながら、体重50キロ未満のジョッキーの卵との体格差は、まさに大人と子供。しかし、減量の苦労話などを聞くうち、同じアスリートとして打ち解けた。「彼らは自分たちよりつらい経験をしている。お互い有名になって、注目されるようになれば…」と、今後の活躍を誓い合った。

 小学生のころ、広島主催の野球教室に参加するため、広島市民球場を訪れ、新井(現阪神)のティー打撃に目を奪われた。「すごかった。見ていて『こういう風になりたい』と思いました」その経験から、自らが手本となり、未来のプロ野球選手に夢を与えるつもりだ。

 同期会としてはレッドソックス・松坂大輔らが発足した「昭和55年会」などが有名だ。オフに定期的に野球教室などを行っているが、中田のビジョンは「プロ野球」の枠に収まらない。「子供はみんなが野球選手を目指すわけじゃない。いろいろな競技の人でやれたらいいし、いろんな話ができて、いい経験になると思う」と、ジャンル横断的な活動を目指す意向を示した。

 「平成元年会」発足のためには、周囲を納得させる実績が必要だ。ヤクルト・由規、ロッテ・唐川ら同期とは、今もまめに連絡を取り合っているが「まだ『野球教室をやろう』とか、そういう話はしてない」という。「お互いが活躍してからですね。まずは慣れていかないとダメ」新時代の怪物は、未来のスポーツ界を背負って立つ意気込みでプロ生活を送る。

参照元:スポーツ報知

パイレーツの桑田真澄投手(39)が「腹八分」調整でメジャー2年目に挑む。

 桑田は21日、成田空港発のカンタス航空機で自主トレ先のオーストラリアに出発。毎年恒例のケアンズ・トレで状態を「90%ぐらいまで上げて戻ってきたい」と口にした。

 「100%」の体に仕上げない理由は2つある。「けがをしたんですから、元と全く同じ状態には戻らない。手術をしたから100%に戻すのは難しい」というのが1つ。もう1つは、「100%の力を出すと壊れちゃう」という22年のプロ経験から得た教訓だ。故障しないギリギリのラインで力を出す術を知っているのだ。

 都内で続けていた自主トレでは、内野ノックも受け、ブルペン投球も行うなど、術後の右足首は順調に回復している。温暖なケアンズでは「80~90%の力で50球」を1度、ブルペンで投げる予定。約10日間滞在し、2月15日の米フロリダ州ブラデントンでのキャンプインに向けて、体を作り上げる。

 

参照元:スポーツ報知

巨人・脇谷亮太内野手(26)が20日、沖縄で合同自主トレを行った高橋由伸外野手(32)から学んだ「打席での間の取り方」を生かして、二塁の定位置を確保し、全試合出場することを誓った。

 高橋由に直訴して、実現した沖縄自主トレで、大きな収穫を手にした。「(打席での)間が大事になってくる」というヨシノブの一言に、深い感銘を受けた。決してマウンド上の投手に自分のリズムで気持ちよく投げさせず、打者のペースへ引き込んでいく“間”の作り方が、ベストパフォーマンスにもつながると教えられた。「これから自分の感覚をつかんでいきたい」脇谷は意気込んだ。

 レギュラー確保へ向け、今季は願ってもないチャンスだ。1軍の外国人枠は4人。今季からグライシンガー、ラミレス、クルーンら大物が加入。4番候補の李承ヨプもいるため、昨年故障で出場機会が少なかった同じ二塁手のゴンザレスはさらに出場が限られる。脇谷が打撃である程度の結果を残せれば連日、先発出場できる。

 沖縄から帰京後、一夜明けてすぐにG球場での自主トレを開始。ランニング、ティー打撃などで汗を流した。「今年は全試合出たいですね。是が非でもレギュラーを取りにいきますよ」ヨシノブの教えを胸に、攻守にスキのない二塁手を目指していく。

参照元:スポーツ報知

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