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北京五輪野球の日本代表編成委員会が17日、都内で行われ、日本代表24選手が発表された。

 パ・リーグのハーラートップ(12勝)の楽天・岩隈は、代表落選にも「気にしていません。シーズンを頑張ります」とコメント。昨年10月、メスを入れた右ひじは状態がいいが、野村監督も「岩隈は休ませながら使わないといけない。(短期決戦では)使いづらい」と話しており、連投がきかないことでメンバーから漏れたようだ。「星野の温情じゃないか。楽天は2人持っていかれるとつらいしな」とノムさん。紀藤投手コーチも「これで20勝を狙ってもらえる」と言い、チームにとっては朗報になった形だ。

 昨年12月のアジア予選で日本に五輪切符をもたらした最終候補選手の中では和田、井端(ともに中日)、サブロー(ロッテ)の3人が最終メンバーから漏れた。アテネ五輪に出場した和田は「アテネの悔しさがあるので選ばれなかったのは残念です」と無念の表情。アジア予選の台湾戦で同点スクイズを決めたサブロー、井端はシーズン中の故障が響いた。

 巨人では最終候補に残った小笠原、高橋由が最後に落選。和田、岩隈(楽天)、相川(横浜)とともに、アテネ五輪との2大会連続出場を逃した。

参照元:スポーツ報知

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北京五輪野球の日本代表編成委員会が17日、都内で行われ、日本代表24選手が発表された。

 星野JAPANが4本柱で1次リーグ突破に青信号をともす。「まずは(1次リーグの)7試合。今はローテーションを(第4戦の)韓国戦までしか考えていない」星野監督は初戦のキューバ戦(13日)から始まる4連戦でのスタートダッシュを宣言した。

 金メダル獲得には1次リーグ突破が最低条件。前回のアテネ五輪(04年)を制したアマ最強軍団相手の初戦は、和田の先発起用が有力となった。スタメンには右打者が多いが、ハーレム国際野球大会を視察した星野監督は、「右打者には外角に逃げていく球がいい」と分析。変則投法から繰り出される和田のチェンジアップが、キューバ打線に有効と判断した。

 さらなる秘策もある。首脳陣はキューバ戦でダルビッシュのリリーフ起用を検討中。指揮官は「投手は先発だけ、ということはあり得ない。ダルのリリーフはある」と断言した。

 ダルビッシュはキューバ戦で中継ぎ待機した後、16日に韓国戦での先発が濃厚。14日台湾戦は川上、15日のオランダ戦は成瀬の起用が有力視される。「最初の4試合が大事になる」と大野投手コーチ。少数精鋭、10人の投手陣を駆使してロケットスタートを切る。

参照元:スポーツ報知

北京五輪野球の日本代表編成委員会が17日、都内で行われ、日本代表24選手が発表された。星野仙一代表監督(61)は、今季不調ながら国際大会での実績を評価してメンバーに入れた巨人・上原浩治投手(33)の再生を宣言。「1週間で立ち直らせる」と、8月2日からの直前合宿(G球場)で直接指導し、完全復調させた右腕とともに金メダルを狙う。

 自信に満ちあふれていた。代表メンバーの発表会見に臨んだ星野監督の力強い言葉が、会見場に響き渡った。

 「1週間の合宿で(大野投手コーチと)2人で立ち直らせます。きちっとやります」

 今季14試合に登板し、2勝4敗、防御率6・46と不調にあえぎ、2軍落ちも経験。本来の輝きを失った右腕に、指揮官自らが救いの手を差し伸べた。

 「昨日テレビで見て、何という投げ方をしているんだと思った。(去年と)全然違う」

 前夜(16日)、スタッフ会議を終えると、巨人・中日戦(札幌D)をテレビ観戦。8回2死一、二塁で上原がマウンドに上がると、4本も折れたろっ骨の痛みも忘れ、身を乗り出すようにして見守ったが、ワンアウトも取れずに降板した。

 「昨日の試合を見れば非常に不安な気持ちになるのは分かる。私も『抑えてくれ』と思っていたよ。ただ、私なりに欠点は分かっている。ここを直せばいいという点を見つけた。1球投げただけで分かったよ」

 踏み出した左足が突っ張り、立ち投げのような投球フォームに、闘将のチェックが入った。一定していた投げ方に狂いが生じたのは下半身の不安の影響なのか、それとも精神面の問題か。不調の原因を究明しない限り、上原の完全復活はありえない。

 「私と大野投手コーチで今までの経験をぶつけて、彼(上原)が納得すれば立ち直ることができる。明日にでも横浜(スタジアム)のブルペンに立ちたいが、それはできない。電話でのアドバイスなら許されるかな。JAPANに選んだのだから。体調とハートについて話をしたいね」

 国際試合23試合に登板し、12勝無敗1セーブの実績だけでない。テンポのいい投球、大舞台で動じない強心臓、何より他の選手が一目を置く存在であることが、若い選手が多いチームには必要だ。

 「昨日の試合を見ても(選出は)迷わなかった。後ろの3、4イニングを上原と藤川、岩瀬で頑張ってほしい」

 上原の起用について、指揮官はオブラートに包んだが、大野投手コーチは「上原に“最後を任せるよ”と言った方が力が出るかも」と昨年のアジア予選同様に守護神を任せることを示唆した。

 「チームスポーツでいい成績を残せば、勢いがつく。一番輝けるものを狙っていこう」

 目標はあくまで金メダルのみ。8月2日の直前合宿初日から始まる「上原再生プロジェクト」が、星野JAPANの命運を握る。

◆巨人・上原の国際大会 大体大3年時の1997年、5月26日のアジア野球選手権、対フィリピン戦で初登板。同年8月のインターコンチ杯では決勝のキューバ戦に先発、5回1/3、1失点で優勝に貢献。07年の五輪アジア予選では抑えとして2試合、2イニングを零封。計23試合に登板し、12勝1セーブ、防御率1・95の成績を残している。

参照元:スポーツ報知

◆日本ハム3―1楽天(17日・東京ドーム) これぞ星野JAPANのエースだ。日本ハム・ダルビッシュ有投手(21)が楽天戦で4安打1失点10奪三振の完投。対楽天7連勝&今季11勝目は、わずか89球という省エネ投球で決めた。2ケタ奪三振は今季5度目、8完投は両リーグ単独トップ。北京五輪日本代表メンバー入りした右腕にとっては、選出御礼の快投だった。これで自身5連勝。7、8月の連勝も16に伸ばした。勢いは北京まで止まりそうにない。

 安心して見ていられた。ダルビッシュは淡々と最後まで投げきった。球数は9回完投としては、自身最少の89球。今季5度目の2ケタとなる10三振を奪ったが、「三振よりも、球数が少なくて試合時間(2時間36分)が早かったのが良かったと思います」と笑い飛ばした。

 変幻自在だった。直球の最速が152キロだったのに対して、最も遅いスローカーブは104キロを計測した。「きょうは早打ちだったので楽でした」楽天打線を相手に積極的にストライクを投げ込み、追い込めば確実に三振に斬った。90球未満の2ケタ奪三振は中日・川上が05年5月20日のロッテ戦(千葉)で記録して以来。今季2度目の無四球完投で、1分けを挟み2連敗中のチームを救った。

 登板前に北京五輪日本代表入りが正式に決まった。それでも「きょうをどう勝つかしか考えてなかった」という。父・ファルサさん(47)ら家族が8月12日からの現地入りを予定するなど、周囲が盛り上がる中で、本人は「僕にとって日の丸は絵でしかない。『目標は金メダル』というのは誰でも言えること。先にやることがあると思う」と力強く言い切った。

 選出御礼だけでなく、恩返しの快投にもなった。この日、今年1月に都内で合同自主トレを行った前ロイヤルズ・野茂の現役引退が判明。試合後に衝撃ニュースを知ったエースは、「メジャーでは引退しても撤回する人もいるし、僕はそれを期待します。今はお疲れ様でしたと言いたい」と慎重に言葉を選んだ。

 当初はこの後に2度の中5日登板に臨む予定だったが、梨田監督の「疲れをためて(代表に)出すのは心苦しい」という計らいで、五輪前の先発は24日のロッテ戦(札幌D)1試合となる見込みだ。「きょうも全力だったし、次も(力を)抜くことはない」星野JAPANのエースは「日本ハム・ダルビッシュ」として仕事をやり遂げてから、北京に旅立つ。

参照元:スポーツ報知

北京五輪野球の日本代表編成委員会が17日、都内で行われ、日本代表24選手が発表された。

 身の引き締まる思いが、マー君の表情を硬くさせた。五輪野球に出場するプロ選手としては史上最年少。松坂もシドニー五輪参加時は20歳。楽天・田中将大投手は19歳で金メダルに挑戦することになる。「選ばれたと聞いて正直びっくりしたし、それと同時にやらないといけないという気持ちになった」東京ドーム内での会見は決意表明の場になった。

 自分の役目は何か。マー君は分かっていた。「ボクが一番年下なので、やることはたくさんあると思う。周りを見ながらしっかりやっていきたい」金メダルのためなら“パシリ役”も辞さない考えだ。さらに、星野監督からの「思う存分、暴れてこい。フル回転してもらう」との指令にも、納得の表情を見せた。

 「そういうふうに評価してもらえるなら、とてもうれしいこと。励みにもなる。任されたところで全力で頑張りたい」9試合9連投もOKの積極姿勢を見せた田中に、野村監督も「マー君はどこでもやれる。便利屋で使える。痛い、かゆい、なんて言わないし『毎日行け』と言われれば毎日行ける」と太鼓判を押した。

 ノムさんからは「頑張れよ」と激励され、山崎武からは「ぶざまなまねしたら切腹だ」とゲキを受けた。「星野監督はすごい熱い方だと思っている。自分としても熱いところを持っているので、そういうところも監督から話を聞いて、しっかり勉強したい」気持ちは早くも星野JAPANの一員だ。「1か月離れるチームに、いい結果を送れるよう、ひと回りもふた回りも大きくなって帰ってきたい」世界に飛び出すマー君の挑戦が始まる。

 ◆五輪野球に出場した10代選手 プロ選手としては田中が初めてだが、アマチュア選手では過去に5人いる。84年ロサンゼルス五輪の荒井幸雄(日本石油=ヤクルト)、88年ソウル五輪の潮崎哲也(松下電器=西武)、96年アトランタ五輪では小野仁(日本石油=巨人)、福留孝介(日本生命=中日)、00年シドニー五輪の杉内俊哉(三菱重工長崎=ダイエー)で、いずれも国際舞台で活躍し、プロ入りしている。

参照元:スポーツ報知

【タンパ(米フロリダ州)16日】米大リーグは17日から後半戦が始まる。左ひざ痛で故障者リスト(DL)入りしているヤンキースの松井秀喜外野手(34)はマイナーリーグ練習場でリハビリを切り上げ、ニューヨークに戻った。18日に首脳陣から手術を勧められれば、受け入れる覚悟を示した。ドジャースの黒田博樹投手(33)は18日に敵地でのDバックス戦に先発する。マリナーズのイチロー外野手(34)は本拠でのインディアンス戦で、あと11本に迫っている日米通算3000安打へ再スタートを切る。

 タンパのマイナーリーグ練習場でリハビリを切り上げた松井は、民間の航空機でニューヨークに戻った。18日に球団首脳やチームドクターと今後の対応を話し合うためだが、手術を勧められる可能性が高い。松井自身も手術を受け入れる覚悟を決めつつあるようだ。

 首脳陣から電話で帰還指令を受けたのは前日(15日)の夜。松井はこの日も練習場で治療に専念した。17日を休養にあて、後半戦開幕となる本拠地でのアスレチックス戦の試合前に、今後を左右する話し合いを持つ。

 2日連続でフリー打撃を行うなど順調に回復しているように見えたが、13日の練習後に腫れが再発した。手術をすれば今季は絶望。メスを入れずに復帰することを目指していたものの、この状況では首脳陣から手術を勧められる可能性を否定できない。

 タンパでの治療後、取材に応じた松井は「もちろんシーズン中に戻れるのが一番いい」と前置きした上で、「手術が一番いいとなったら仕方がない」と勧告を受け入れる考えを示した。「いまだに(手術せずに)戻りたい気持ちはある。それに向かって頑張りたいと思うけど。無理な場合は仕方がない」と繰り返す表情は苦悩を隠せない。事態は、松井の願いとは反対の方向に進み始めている。

参照元:スポーツ報知

日本人選手の米大リーグ進出の実質的な先駆けとなり、日本と大リーグで通算201勝(155敗)を挙げた野茂英雄投手(39)が現役引退の決意を固めたことが17日、分かった。ことし4月にロイヤルズを自由契約となった後も獲得に乗り出す球団はなく「まだまだやりたい気持ちが強いが、プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思う」と語った。

 野茂投手は今季、キャンプにマイナー契約の招待選手として参加し、開幕直後に3年ぶりのメジャー昇格を果たした。しかし、好結果を残せず4月20日に戦力外通告された。

 ◆野茂 英雄(のも・ひでお)大阪・成城工高、新日鉄堺を経て90年にドラフト1位で近鉄入り。独特のフォームは「トルネード(竜巻)投法」と呼ばれ、1年目に18勝でMVP、新人王、沢村賞。95年ドジャースに入団。日本人2人目の大リーガーとなり、オールスター戦に先発、新人王に輝いた。96、01年に無安打無得点試合を達成し、05年に日米通算200勝。日本で通算78勝46敗、大リーグでは計7球団に所属し通算123勝109敗。188センチ、100キロ。右投げ右打ち。大阪府出身。39歳。

 ソフトバンク・王貞治監督「日米交流の先鞭(せんべん)をつけた功労者。米国に渡って14年。日本野球が米国と比べて遜色(そんしょく)のないレベルにあることを示してくれたことが、後に続いた選手たちのチャレンジ意欲をかき立てたのだと思う。これからも、日本、米国の野球発展のために頑張ってほしい」

参照元:スポーツ報知

ドジャースの黒田博樹投手が18日(日本時間19日)、後半戦の開幕投手としてダイヤモンドバックス戦に臨む。1ゲーム差で追う首位との大事な初戦に向け「開幕を任されたわけだから、しっかりゲームをつくる」と意気込んだ。

 17日はアリゾナへの移動前にドジャースタジアムで調整した。オールスター戦期間中の休みには、家族でラスベガスに観光。その間もドジャース傘下のマイナー施設でキャッチボール、ランニングなどを行い、体調維持に努めた。

 斎藤隆投手の離脱には誰よりも心を痛めている。黒田のドジャース入りを後押しし、キャンプから手料理を振る舞うなど、チームに溶け込めるように配慮してくれた先輩の故障。「チームに2人しかいない日本人として一緒に戦ってきたのに、本当にショック」と表情を曇らせた。

参照元:スポーツ報知

 米大リーグ、ドジャースは17日、右ひじを故障した斎藤隆投手(38)が家族に会うため、日本へ一時帰国すると発表した。10日前後、滞在する予定。

 斎藤は12日のマーリンズ戦で右ひじを痛め、精密検査の結果「右ひじねんざで靱帯(じんたい)を痛めている」と診断された。故障者リスト(DL)入りし、約6週間のリハビリ後に再診を受けるが、ロサンゼルスの自宅で電話会見した斎藤は、右ひじの状態について「手術の可能性が完全にないわけではないが、今はリハビリがベストだと思う」と話した。

参照元:スポーツ報知

<巨人1-5横浜>◇16日◇札幌ドーム

 巨人がまさかの逆転負けで北海道シリーズ連敗、3位中日に0・5ゲーム差と迫られた。先発内海が好投し7回を終え1-0。8回2死から上原浩治投手(33)を投入し、逃げ切りを計った。しかし上原はウッズに四球を与え満塁とすると、和田、中村紀に連続適時二塁打を浴びた。

 内海は「無駄な四球が反省です」。今季1番といえる内容を披露した左腕に6敗目がついた。

参照元:nikkansports.com

◆巨人4―7中日(15日・旭川) 巨人は先発の木佐貫が4回途中で4失点KO、16年ぶりとなる旭川のゲームを落とした。初回、荒木に先頭打者弾を浴びるなど、9安打を集められ4回無死で降板。ご当地出身の剛腕OB、スタルヒンを悲しませる内容に終わった。打線は高橋由が12号先頭打者弾をお返しし、4回には阿部の9号3ランで1点差にまで迫ったが、それ以降、追加点を奪えず。連勝は4で止まり、中日・山本昌に通算197勝目を献上した。1996年、最大11・5差から大逆転Vを演じた「メークドラマ」の起点となった北海道で失速してしまうのか。

 焦点が定まらない。4回無死二、三塁。ベンチに下がった木佐貫はただぼんやりと、マウンドを眺めていた。代わった山口が森野に2点二塁打を浴びると、そっと下を向き、うなだれた。「何を言っても負け惜しみにしかなりませんから」気丈に試合を振り返る間も、表情を失っていた。

 自分の間合いで勝負できなかった。初回、先頭・荒木に3号ソロ、中村紀に左犠飛を許して2失点。「早打ちだとは感じました」決め球のフォークを投げる前に、早いカウントから直球を狙われた。変化球主体に配球を変えたが、カウントを悪くし、苦し紛れの直球や、ストライクを取りにいったスライダーを叩かれた。持ち味を出せないまま3回0/3を9安打4失点。3敗目を喫した。

 「打たれすぎです。自分以外の要因は何もありません」と言葉少なに振り返った。チーム事情で13日に先発したバーンサイドの“ダミー役”を演じた末の中8日で先発したことや、初登板となったスタルヒン球場の傾斜の緩いマウンドの感触などは言い訳にしなかった。原監督も「どうフォローしていいか分からないね。本人は状態が良かったと言っていたんだから、あれがいい状態なんでしょう」と厳しかった。

旭川での試合は16年ぶりだった。当地出身のOBで、通算303勝を挙げた剛腕、ヴィクトル・スタルヒン投手の銅像を前に「300勝投手にあやかって頑張ります」と誓っていたが、偉大な大先輩を喜ばせることはできなかった。

 打線は奮起した。4点ビハインドの4回に阿部の9号3ランですぐに1点差に迫った。さあ、という流れの中で6回に山口が、9回に東野が浴びたソロ弾が重かった。「よく追い上げたが越えられなかった。だから、6点目、7点目が大きかった」と指揮官も顔をしかめた。96年、最大11・5ゲーム差をはね返してリーグ制覇を果たし、「メークドラマ」とたたえられた。歴史的逆転の“発祥の地”とされる北海道で、その再現を狙ったが、初戦でつまずき連勝は4で止まった。

 ◆ヴィクトル・スタルヒン 1916年、ロシア生まれ。ロシア革命の影響で19年に日本亡命。29年に旭川移住。旭川日章小で野球を始め、6年の時全道V、旭川中(現・旭川東高)で33、34年に全道中学2年連続決勝進出。34年に同中を中退、プロの全日本入り。36年巨人入り。39年には42勝15敗、38完投でMVP。戦後の55年、トンボで日本プロ野球史上初の300勝。56年に現役引退。57年、交通事故で40歳で死去。191センチの身長を生かした全盛時の速球は150キロ以上と言われた。スタルヒン球場は84年、功績をたたえて開設された。

参照元:スポーツ報知

◆ソフトバンク13―4西武(15日、ヤフードーム) ソフトバンクが今季最多タイの13点で首位・西武に圧勝、4差に接近した。左手首痛から2試合ぶりに先発復帰した小久保が2回に34日ぶりの同点15号。松中も3回に18号2ラン、4回には19号ソロを連発した。04年6月以来の2試合連続2ケタ得点で連勝。西武戦3連勝にも「負け数(の差は)これで6つか。実質は6差と考えている」と王監督は表情を引き締めた。

参照元:スポーツ報知

◆巨人4―7中日(15日・旭川) 中日の荒木が豪快な先制パンチで15安打7得点の猛攻を呼び込んだ。初回、木佐貫から放った今季3号は自身3本目の先頭打者アーチ。2、4回にも中前にはじき返し、8度目の猛打賞をマークした。リーグ戦再開後は打率が1割台に低迷する上に、5失策と攻守に精彩を欠いていただけに「これで吹っ切れたい。少しバットを余して持っています」とリベンジに燃えていた。

参照元:スポーツ報知

◆巨人4―7中日(15日・旭川) 最後まで集中力を切らさない。6―4で迎えた6回2死一塁。山本昌は一塁走者の坂本が飛び出した瞬間、素早く体をひねり、一塁にけん制球。挟殺プレーでピンチの芽をつみ取った。「もう少し楽に勝てたんだけどね。とにかくチームが勝ってよかったよ」2本のアーチを浴びたが、6回4失点と粘り、球団の通算4500勝に花を添えた。

 自身にとっても、5月21日の楽天戦(Kスタ宮城)以来となる通算197勝目。巨人戦通算38勝(42敗)は、杉下茂氏と並ぶ球団最多タイだ。チームも北海道での巨人戦は、04年から6連勝となった。「出直すなら北海道だと思っていた。巨人戦といえばな」と落合監督も、投打がかみあっての快勝に口元を緩めた。

 勝てない間も謙虚な気持ちは忘れなかった。6回途中2失点ながら2番手・吉見が打たれ、白星を逃した6月9日の楽天戦(ナゴヤD)。ロッカーで座り込む後輩に山本昌は声をかけた。「マンちゃん(岩瀬)だってオレの勝ちを何度か消してるんだ。気にするな」積み上げてきた勝利の裏に、周囲の支えがあることを痛感している。

 悲願の名球会入りにあと3と迫った。4カード連続負け越しが続くチームにとっても、初戦の勝ち星は大きい。「球団通算4500勝なの?」とほくそ笑んだ42歳。大台到達を前に、弾みとなる記念のウイニングボールを手に入れた。

 ◆中日が通算4500勝 中日が15日の巨人13回戦(旭川)に勝ち、球団通算4500勝を達成した。巨人、阪神、オリックスに次ぎ4チーム目。初勝利は前身の名古屋時代の1936年4月29日、大東京戦(甲子園)。

参照元:スポーツ報知

◆高校野球東東京大会 ▽3回戦 帝京8―1駿台学園=8回コールド=(15日・神宮) 東東京では、昨夏甲子園8強の帝京が順当に初戦を突破。3番手で登板したスーパー1年生・鈴木昇太が、自己最速を一気に5キロも上回る145キロをマークする鮮烈デビューを飾り、スカウト陣の度肝を抜いた。

 ミットを突く重低音に、真夏の神宮がどよめいた。雄たけびとともに、鈴木が剛腕を振り下ろす。堂々としたマウンドさばきは、1年生に見えない。8回から登板。スカウト陣が一斉にスピードガンを向け、その球筋を追う。145キロ―。ソフトバンクのスカウトのガンに表示された驚異の数字が、新怪物の襲来を告げていた。

 「夏は雰囲気が全然違う。緊張したけど“打てるもんなら打ってみろ”と思って投げた」直球は自己最速を5キロ更新。スライダーとツーシームを駆使し、打者3人を内野ゴロに仕留めた。わずか1イニングだったが、前田三夫監督(59)は「ボールがどんどん速くなっている。将来はプロに行く子」と手応え。この日は“温存”したドラフト候補の最速152キロ右腕・高島祥平(3年)の後継者として、太鼓判を押した。

 経歴も規格外だ。中学2年では硬式野球のポニーリーグで日本代表に名を連ね、世界大会で12イニングを投げ、列強相手に失点わずか1。0・75で最優秀防御率を受賞し、銅メダル獲得に貢献。「甲子園に一番近い高校。誰でもできる所じゃない。目立って上に行きたい」厳しい環境に身を置きたい思いから、帝京の門をたたいた。中学では体重90キロの巨漢だったが、走り込んで8キロ減量。「甲子園は夢じゃなくて目標」聖地デビューの瞬間を心待ちにしながら、牙を研ぐ。

 阪神・北村スカウトも「バランスがいい。体が大きい割に、腕がしっかり振れる。将来が楽しみ」と目を丸くした。「まずは150キロを超え、プロで松坂を超えたい」と16歳の眼中にあるのは95年以来、13年ぶりの深紅の大旗だけ。進化を続ける1年生が、勢いのまま手にする。

 ◆鈴木 昇太(すずき・しょうた)1992年5月2日、東京・立川市生まれ。16歳。武蔵村山八小1年から「青空」で野球を始め、武蔵村山一中では「小平ポニーズ」に所属。帝京では1年春に背番号20でベンチ入りし、今大会では背番号19。姉・裕子さん(19)は八王子実践で春高バレーに出場し、今春から実業団のデンソーで活躍。180センチ、82キロ、右投右打。家族は両親と姉、妹。

参照元:スポーツ報知

1984年夏の甲子園で優勝した取手二高(茨城)のエースで、大洋、横浜で活躍した石田文樹(いしだ・ふみき)現横浜打撃投手が15日、直腸がんのため横浜市内の病院で亡くなった。41歳だった。石田さんは、2年生エースの桑田真澄(現スポーツ報知評論家)、4番の清原和博(現オリックス)を中心に当時、高校野球史上最強とうたわれたPL学園を相手に決勝戦で好投。延長戦の末、県勢初の全国制覇を達成した。KKは3度出場した夏の甲子園で、一度だけ敗れた相手である石田さんの早すぎる死に大きなショックを受けた。

 甲子園の大ヒーローが早逝した。取手二高時代、エースだった石田さんは、桑田、清原らスター選手を擁し当時、高校野球史上最強とおそれられたPL学園を下して、茨城県勢初の優勝へ導いた。現在は、横浜の打撃投手を務めている中、直腸がんを患い、この日41年間の生涯を閉じた。

 石田さんは今年2月の宜野湾キャンプでは、微熱が続き、患部の周辺の痛みに煩わされていたため、鎮痛剤を服用しながら練習に参加していた。3月に精密検査を受けた結果、直腸がんが見つかり入院。復帰を目指し苦しい闘病生活にも耐えていた。最近でも母校・取手二高の試合結果や、野球部で活躍する高校2年生の長男のことを気にかけるなど、野球への情熱を失ってはいなかった。

 石田さんが全国区のスターとなったのは1984年夏の甲子園。木内幸男監督(77=現常総学院監督)の下、“のびのび野球”で深紅の大優勝旗を手にした。決勝戦では、エースの石田さんが強気の投球で清原を3打数1安打に抑え、桑田との投げ合いを制した。木内監督は「頼りになる投手だった。茨城大会は全然ダメ。甲子園入りして休ませたら治った。それでチームが活気づいて全国制覇までいけた。石田の肩がみんなに夢を与えた」と思い出す。36歳年下の教え子の死を悲しんだ。

 高校卒業後は早大へ進学したものの1年たたずして退学。社会人の日本石油(現新日本石油ENEOS)を経て88年のドラフト5位で大洋に入団した。1年目から主に中継ぎとして登板、94年の引退まで通算25試合で1勝。95年からは横浜の打撃投手として裏方でチーム支えていた。スコアラーも兼ねていた仕事はきめ細かく、若手野手からの信頼は厚かった。

 チームメートもショックを隠せなかった。同期入団の石井琢朗内野手(37)は「(病状は)分かってはいたけどつらい」と目を潤ませた。試合前には「もう1回(打撃投手として)ユニホームを着るのを楽しみにしていた。もう一度(いっしょに)野球をした気分になりたかった」と、石田さんの背番号88が入ったユニホームを着て練習も行った。

 この日、横浜スタジアムで行われた広島戦では半旗が掲げられ、横浜ナインは左袖に喪章を付け試合に臨んだ。試合前には黙とうし、その早すぎる死を悼んだ。

 ◆石田 文樹(いしだ・ふみき)1966年8月22日、茨城県生まれ。取手二高の右腕エースとして83春、84春、夏と甲子園に出場。84年夏は全国制覇を達成した。早大進学も中退、日本石油(現新日本石油ENEOS)を経て88年ドラフト5位で大洋(現横浜)に入団。94年に現役を引退し、打撃投手に。また、94年から登録名を「大也(ともや)」に変更した。プロ通算成績は25試合に登板。1勝0敗、防御率4・59。

参照元:スポーツ報知

米大リーグの第79回オールスター戦が15日、今季限りで閉鎖されるヤンキー・スタジアムで行われる。初出場のカブス・福留孝介外野手(31)は「違和感はある」と戸惑いながら「堂々としていたい」と抱負を語った。先発投手はア・リーグがリー(インディアンス)、ナ・リーグがシーツ(ブルワーズ)に決まった。

 スケールの大きさに、新鮮な感動を覚えていた。シカゴからは球団が準備したチャーター機で移動し、高級ホテルで記者会見。周りの選手もメジャーの超一流。「初めてなので右も左も分からない。雰囲気に圧倒されている」メジャーのオールスターに対する、福留の偽らざる心境だった。

 イチローとは対照的な初々しさが、31歳のルーキーにはある。「本当に光栄という気持ち。うれしい、楽しみということを通り越して、本当にすごいこと」と素直に語った。「違和感はすごくある。でも、堂々としていたい」と戸惑いながら、日米メディアの取材に誠実に受け答えを続けた。

 ただ、グラウンドでは引け目などない。「周りの選手がすごい? それはない。同じ選手だから」公開練習でも力強い打球を放ち、痛めている左ふくらはぎの影響を感じさせなかった。

 中日時代は、球宴では故障の心配から全力プレーを避けていたという。だが、メジャーではワールドシリーズの本拠地開幕権がかかっていることもあり、「リーグにとって大事なこと。やっぱり真剣になる」。お祭りの雰囲気を感じながら、試合では勝負に徹する。

参照元:スポーツ報知

米大リーグの第79回オールスター戦が15日、今季限りで閉鎖されるヤンキー・スタジアムで行われる。8度目の出場となるマリナーズのイチロー外野手(34)は、史上初の2年連続MVPを「意識する」と狙っていく構え。初出場のカブス・福留孝介外野手(31)は「違和感はある」と戸惑いながら「堂々としていたい」と抱負を語った。先発投手はア・リーグがリー(インディアンス)、ナ・リーグがシーツ(ブルワーズ)に決まった。

 挑発とも受け取れる言葉の数々は、積み重ねた実績からくる自信の裏返しだった。会見の冒頭からイチロー節がさく裂した。「8年で一番地味なメンバーでしょう。びっくりしました」なんとオールスターに集ったメジャーの精鋭たちを「地味」と形容してみせた。

 イチローにとっても、球宴は特別な位置づけだ。「初めて球宴に出させてもらった時は、自分の力以上に評価をされる時期があって、それに追いつこうとする自分がいた。そこをだんだん超えていくという、同じようなサイクルを(米国でも)繰り返している」と、球宴を成長の糧にしてきたことを明かした。

 その積み重ねが、8年連続出場につながった。「今、このメンバーを地味だと感じる自分がいる。そのことがちょっとうれしい」常連だから使える言葉で、遠回しに喜びを表現した。朝、出場選手全員と顔合わせをした時に「僕はここにいなくてはいけないと思った」のも、リーグの顔となった責任感からだろう。

 昨年は史上初となるランニング本塁打を放ってMVPに輝いた。当然、2年連続受賞の期待がかかるが、「そのチャンスを持ってるのは僕だけ。もちろんそういう意識はある」と言ってのけた。公開練習では「2008 ALL STAR」の刺しゅうが入ったシルバーの特製スパイクを披露。グラウンドで自分を表現する準備は整った。喜びと責任感を胸に、背番号51が聖地に立つ。

参照元:スポーツ報知

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