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◆巨人4―7中日(15日・旭川) 巨人は先発の木佐貫が4回途中で4失点KO、16年ぶりとなる旭川のゲームを落とした。初回、荒木に先頭打者弾を浴びるなど、9安打を集められ4回無死で降板。ご当地出身の剛腕OB、スタルヒンを悲しませる内容に終わった。打線は高橋由が12号先頭打者弾をお返しし、4回には阿部の9号3ランで1点差にまで迫ったが、それ以降、追加点を奪えず。連勝は4で止まり、中日・山本昌に通算197勝目を献上した。1996年、最大11・5差から大逆転Vを演じた「メークドラマ」の起点となった北海道で失速してしまうのか。
焦点が定まらない。4回無死二、三塁。ベンチに下がった木佐貫はただぼんやりと、マウンドを眺めていた。代わった山口が森野に2点二塁打を浴びると、そっと下を向き、うなだれた。「何を言っても負け惜しみにしかなりませんから」気丈に試合を振り返る間も、表情を失っていた。
自分の間合いで勝負できなかった。初回、先頭・荒木に3号ソロ、中村紀に左犠飛を許して2失点。「早打ちだとは感じました」決め球のフォークを投げる前に、早いカウントから直球を狙われた。変化球主体に配球を変えたが、カウントを悪くし、苦し紛れの直球や、ストライクを取りにいったスライダーを叩かれた。持ち味を出せないまま3回0/3を9安打4失点。3敗目を喫した。
「打たれすぎです。自分以外の要因は何もありません」と言葉少なに振り返った。チーム事情で13日に先発したバーンサイドの“ダミー役”を演じた末の中8日で先発したことや、初登板となったスタルヒン球場の傾斜の緩いマウンドの感触などは言い訳にしなかった。原監督も「どうフォローしていいか分からないね。本人は状態が良かったと言っていたんだから、あれがいい状態なんでしょう」と厳しかった。
旭川での試合は16年ぶりだった。当地出身のOBで、通算303勝を挙げた剛腕、ヴィクトル・スタルヒン投手の銅像を前に「300勝投手にあやかって頑張ります」と誓っていたが、偉大な大先輩を喜ばせることはできなかった。
打線は奮起した。4点ビハインドの4回に阿部の9号3ランですぐに1点差に迫った。さあ、という流れの中で6回に山口が、9回に東野が浴びたソロ弾が重かった。「よく追い上げたが越えられなかった。だから、6点目、7点目が大きかった」と指揮官も顔をしかめた。96年、最大11・5ゲーム差をはね返してリーグ制覇を果たし、「メークドラマ」とたたえられた。歴史的逆転の“発祥の地”とされる北海道で、その再現を狙ったが、初戦でつまずき連勝は4で止まった。
◆ヴィクトル・スタルヒン 1916年、ロシア生まれ。ロシア革命の影響で19年に日本亡命。29年に旭川移住。旭川日章小で野球を始め、6年の時全道V、旭川中(現・旭川東高)で33、34年に全道中学2年連続決勝進出。34年に同中を中退、プロの全日本入り。36年巨人入り。39年には42勝15敗、38完投でMVP。戦後の55年、トンボで日本プロ野球史上初の300勝。56年に現役引退。57年、交通事故で40歳で死去。191センチの身長を生かした全盛時の速球は150キロ以上と言われた。スタルヒン球場は84年、功績をたたえて開設された。
参照元:スポーツ報知