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◆西武16―2ロッテ(4日、長野) 抜けたと思った牙は「乳歯」だったのかもしれない。北京五輪組の中島、G・G・佐藤がチームを離れて初めて戦った3日のロッテ戦で沈黙した打線が、91年6月28日のロッテ戦以来の6本塁打、16点の猛攻。大久保打撃コーチは「昨日の負けで発奮したよ。残った選手たちはアイツら2人で勝ってた訳じゃないと思ったはず」1回から5回まで5イニング連続本塁打はパ・リーグタイ記録。レオの牙はより強固になって再生した。

 主役を務めたのは中島に替わって3番に入ったボカチカ。1回無死一、二塁から左越え14号3ランで先制パンチを浴びせると、2回には無死満塁から左翼席へ来日初のグランドスラム。お立ち台では同じくこの日2本塁打を放った中村と共に「おかわり!」と叫んだ。7月10日に不振で2軍に落ちたが、五輪組の離脱で3日に急きょ昇格。3番を任されたが、3打数無安打。渡辺監督を「ナカジがいれば」と嘆かせたが、一夜で汚名を返上した。

 ロッテには7月20日に0―16で負けていた。その借りも返した。「今日の勝ちは大きい。五輪組が抜けて昨日負けてネガティブな雰囲気も出ていたからね」と渡辺監督。5日から5日間の休養・練習期間の後、10日から12連戦が待つ。「連敗のまま練習するより気分がいい」ナベQ西武が牙を研ぎ澄まし、首位を突っ走る。

参照元:スポーツ報知
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◆横浜6―3阪神(4日・横浜) 3点リードを守りきって戻った8回のベンチで、三浦は首脳陣から交代を告げられた。完投にこだわらなかった。粘りに粘った119球。満足感があった。

 初回に関本に先制の5号3ランを許した。だが、ここで崩れないのがエースだ。「もうこの3点は返ってこない。3失点で止めれば、みんなが返してくれる」思いは通じ、味方は6点の援護をくれた。

 知人の歌手・RIKIさんが三浦のために作詞した「リーゼントブルース」を今回の登板から登場曲として使い、手にした4勝目。今季対阪神負けなしの3連勝だ。チームの阪神戦の勝ち星(3勝10敗)すべてを稼いでいる。「相手はどこでも同じ。マウンドに上がったら、勝つだけ」ハマの番長は最下位チームをあきらめずに引っ張っていく。

参照元:スポーツ報知
◆オリックス3―4ソフトバンク(4日、京セラドーム大阪) 「代打・清原」のコールとともにベンチから歩き出すと、ドームのボルテージは一気に上がった。1点を追う7回1死一塁、落ちついた表情で打席に入ると、初球の136キロ直球をファウル。ボール球を3つ選んで迎えた5球目、真ん中低めの直球に体が反応した。打球は投手・三瀬の足元を襲い、中前に抜けた。

 今季2打席目で放った安打は、06年9月2日のロッテ戦(京セラD)以来、実に702日ぶり。前日(3日)の復帰戦で三振に倒れた悔しさを晴らした。代走を送られベンチに戻る際、スタンドからの大歓声に子どものような笑みをこぼした。

 勢いづいたチームはこの回、相川の適時二塁打と坂口のスクイズで逆転。しかし再逆転を許した試合後、清原は厳しい表情で無言を貫いて球場を後にした。大石監督は「残念。そのひと言です」と大砲が久々に安打を放った試合を勝利で飾れず、大きく息を吐いた。

清原だからこそ、できることがあった。7回に同点打を放った相川は「清原さんがつないでつくったチャンスだったので、のどがカラカラになるくらい集中して打席に入ることができた」と意気に感じた。練習方法などのアドバイスを受けたルーキー・小瀬は、清原から「頑張れば1億円プレーヤーになれる」という言葉をもらった。「あんなすごい人に言ってもらえると、本当にできるかもと思ってしまう」と感激。もはや存在そのものが、チームに見えない力を与えている。

 1軍出場、ヒットと、一歩ずつ階段は上った。次は勝利に導く本塁打―。誰もが待ちわびる大きな花火を打ち上げるだけだ。

 ◆ソフトバンク三瀬叱られた ○…清原に今季初安打を献上した三瀬が、ベンチでお説教をくらった。7回1死一塁の場面で外角への直球を続け、5球目を中前へ。逆転されるきっかけを作った。降板後に王監督から「ああいうバッターに対してでもインコースにいかないと」と、しっ責された。3日の同カードでは大隣がオール直球で空振り三振を奪ったが、同じ攻め方で今度は痛打された。「大隣が昨日、ああいう直球ばかりだったから」と、左腕はうなだれていた。

参照元:スポーツ報知
 プロ野球の実行委員会が4日、東京・内幸町のコミッショナー事務局で行われ来季の公式戦を03年以来6年ぶりにセ・パ両リーグ同時に開幕することを決めた。4月3日(金)からの3連戦で始まる。

 同時開幕は、セ・リーグが7月の実行委で、セ・パ誕生60周年を記念しての開催を提案。パ・リーグもこの日までに受け入れた。来年3月は第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)がある。米ロサンゼルスで23日に行われる決勝戦に進出した場合、代表チームの帰国は25日となるため、日程が窮屈になることを避けた。

 来年の球宴2試合は7月24日に札幌D、25日に広島市内に建設中の新球場で開催(26日は広島の予備日)。フレッシュ球宴は7月23日に札幌Dで行う。日本シリーズは10月31日にパの本拠地球場でスタートする。

 また、中国棒球協会が9月に中国で開催する中国・四川大地震のチャリティーイベントに球界が全面協力することを確認した。

参照元:スポーツ報知
◆中日5―1巨人(4日、ナゴヤドーム) 中日・山本昌が史上24人目の通算200勝を、プロ野球史上最年長記録となる42歳11か月での完投で飾った。9回を4安打1失点で今季7勝目をマークし、1988年8月30日の広島18回戦(ナゴヤ)での初勝利以来、プロ25年目で大台に到達した。また、巨人戦の通算勝利数も現役最多、歴代3位タイの39勝目。球団通算9000試合の節目に、記録ずくめの偉業達成となった。

 スタンドがざわめいた。山本昌の動きに合わせ、青いメガホンが揺れた。200勝への最終章となった9回2死一塁。ラミレスをカウント2―2と追い込むと、伝家の宝刀にすべてを託した。最後は外角低めのスクリューで右飛。「よくぞ自分がここまで来られたと思う。こんな雰囲気で投げることがないのでうれしかった」マウンドに集まったナインに抱きかかえられ、4度宙を舞った。

 熟練の技が凝縮していた。初回に先制点を失ったものの、2回以降は緩急を織り交ぜ、9回を127球、1失点。「これだけ点差があったら完投しないとね」42歳11か月での完投勝利は、1950年の若林忠志(毎日)の42歳8か月を抜き、史上最年長記録。巨人戦の勝利もOBの杉下茂氏を抜き、歴代3位タイの39勝目となった。

 何度も夢をあきらめかけた。あと9勝と迫りながら、わずか2勝(10敗)に終わった昨オフ。後輩投手の結婚式で祝辞の席に立ったベテランは、マイクを片手に声を震わせた。「力が衰えてやめるのはつらい。でも若手の成長で押し出されるなら引退しても構わない」チームメート、球団関係者が集まる中で触れた進退問題。実直な左腕らしいケジメであり、決意表明だった。

 不安を抱えながらも恩師の顔を思い出すと、勇気がわいた。「アイクさんに200勝したって言えばどんな顔するかなあ」米大リーグ・ドジャースの職員で、1988年の米国留学中に世話になったアイク生原氏。この日も名古屋市内の自宅の遺影に手を合わせ、球場に向かった。

 前年までのプロ4年間で未勝利だった左腕が、異国の地でスクリューを覚えて花開いた。アイク氏は登板後にスコアと一緒に助言のメッセージを添えてくれた。8月中旬に帰国すると、一気にシーズン5連勝。92年秋に恩師が55歳の若さで他界すると、告別式で泣きじゃくった。ひつぎにウイニングボールを1つ入れた。「今も亡くなられた気がしなくてね。また手紙が来るんじゃないかと」屈託ない笑顔は、山本昌の心の中で生き続けている。

 200個の白星を重ねるまで公式戦で4万9149球を投げ込んだ。近年は左ひじ痛に悩まされ、可動域が狭くなった。たばこを口に持って行く際も脇を開け、ひじを目線より高く上げなければならない。「いろんな人にお世話になった。鳥取のワールドウイングがなければもっと早く引退していた」オフは山陰の静かなジムにこもり、必死のメンテナンスで体づくりに励んできた。

 「今中がいて、野口がいて、川上がいた。自分は軸じゃなかったけど、奇跡が奇跡を呼んでこういう成績になった」天賦の才には恵まれなかったが、たゆまぬ努力と出会いが偉業を生んだ。プロ入りから四半世紀を経て、苦労人が球界のエースになった。

 ◆山本 昌(本名・山本昌広=やまもと・まさひろ)1965年8月11日、横浜市生まれ。42歳。1984年、日大藤沢高からドラフト5位で中日入団。88年に米大リーグドジャース傘下の1Aに留学し、スクリューボールを覚えて帰国。同年プロ初勝利を挙げるなど頭角を現した。最多勝3度、最優秀防御率と最多奪三振を1度。94年に沢村賞。2006年9月16日の阪神戦(ナゴヤD)では、史上最年長の41歳でノーヒットノーランを達成した。186センチ、87キロ。左投左打。家族は夫人と1男1女。年俸1億5000万円。

 ◆落合監督も祝福 ○…中日・落合監督も山本昌の偉業をたたえた。9回まで起用したことについて、「今日は個人の記録。日本シリーズはチームの記録だから」と、8回まで完全投球を続けていた山井を9回に降板させた昨秋の日本シリーズ第5戦を引き合いに出した。「今後、ユニホームを着るかどうかは、本人が決める問題」と、去就も一任する考えだ。

参照元:スポーツ報知
星野JAPANが、連日のアクシデントに見舞われた。直前合宿(G球場)に参加しているソフトバンク・川崎宗則内野手(27)が左足甲を、ロッテ・西岡剛内野手(24)が首を痛め、4日の練習を休んだ。前日(3日)には、横浜・村田修一内野手(27)が風邪で入院。北京五輪でレギュラー確実の3人の戦線離脱に、星野仙一監督(61)も「どうすりゃいいんだ」と、頭を抱えた。ドタバタが続く中、5日、巨人2軍との練習試合(G球場)を行う。

 どこにもいない。いつも大声でチームを引っ張る川崎が、黙々と練習をこなす西岡が、グラウンドに姿を現すことはなかった。星野監督は「(村田も含め)3人いなかったな」と心配そうにつぶやき、早期回復を願った。

 2日続けてのアクシデントは、何かに取りつかれているとしか言いようがない。3日には村田が風邪によるのどの痛みを訴え、緊急入院。この日は午前11時過ぎに川崎が都内の病院に向かい診察を受け、「左足第2中足骨骨膜炎」と診断結果を受けた。さらに西岡も慢性的な、疲労による首の張りで練習を休んだ。

 昨年12月のアジア予選(台湾)で、三塁、遊撃、二塁のレギュラーを張った3人が離脱。特に西岡、川崎の二遊間は06年、世界一に輝いたWBCからコンビを組んでおり、簡単に代わりは見つからない。田淵ヘッド兼打撃コーチは「遅れはないでしょう。休むことで状態が良くなるかもしれない」と説明したが、5日の練習試合も当日の様子を見なければ出場は決められず、復帰のメドは立っていない。8、9日の強化試合出場も微妙だ。

 指揮官が最も心配するのは、川崎だ。「剛は薬で良くなったり悪くなったりだけど、ムネの方はじわじわと(症状が出てきた感じ)だからな」と首をかしげた。チームを引っ張る存在で、責任感も強いだけに、「本人はああいう子で(出場すると言ってくるはずだから)逆に怖い。冷静に話をする」と星野監督は宿舎で話し合いを持つことも明らかにした。

チームメートにも影響は出た。投内連係開始直後、遊撃には誰もいない状態。中島、宮本が遊撃に回れば、三塁は無人になった。練習時間も約20分早く切り上げになり、投手陣は慌てて帰りのバスに乗り込んだ。さらに5日の練習試合も当初、9回の予定が野手不足で7回に短縮。中7日で先発し、5回が予定されていた先発・涌井のイニング数も、急きょ3回に縮まった。

 フリー打撃では、阿部が森野のミットを借りて一塁を守り、矢野も左翼の守備位置につき、不測の事態に備えた。「入れ替え? 77人の中から選ばなくちゃいけない。でも、それはめちゃくちゃ最悪の場合」と闘将は軽症を信じながらも、第1次候補77人の中から、代替選手選考も口にした。北京入りは6日後。残された時間は限りなく少ない。

参照元:スポーツ報知
 ◆レイズ6x―5タイガース=延長10回=(3日・セントピーターズバーグ) レイズの岩村明憲内野手(29)が本拠のタイガース戦に「1番・二塁」で出場。4打数1安打だったが、延長10回、送りバントを決め、その後の逆転サヨナラ勝ちに貢献した。

 10回、無死一、二塁の好機。自身の判断で捕手の前にバントをした。「(初球の空振りで)切り替えた。いいところに転がったでしょ?」この“自己犠牲”が逆転サヨナラ劇を呼んだ。マドン監督は「(逆転勝ちの)霊感があった。ウチのギブアップしない野球の象徴のような試合」と5連勝にご機嫌だ。

 これでチームは昨年の勝ち星に並ぶ66勝目(44敗)。「誰も予想しなかったでしょう。勝ち星の分だけ、みんなも自信を持ってやれている」と岩村。ミラクルではなく、実力で地区優勝まで走り続ける。

参照元:スポーツ報知
 左ひざ痛で故障者リスト入りしているヤンキースの松井秀喜外野手は4日、キャンプ地のフロリダ州タンパに入った。復帰に向けて5日から練習と治療を始める。

 4日午後にタンパ入りした松井秀は「3日間打ったから今日は休めと言われました」と球団トレーナーの車で宿舎へ向かった。松井秀は7月10日からも復帰を目指してキャンプ地で調整していたが、13日に腫れが再発。今回が2度目のキャンプ地での調整になる。

参照元:スポーツ報知
◆レッドソックス5―2アスレチックス(3日・ボストン) レッドソックス・松坂大輔投手(27)がアスレチックス戦に先発。今季12勝目(2敗)を挙げた。前回、エンゼエルス戦では5回0/3で6失点。この反省を生かし、スライダーを武器に6回を4安打2失点とまとめた。奪三振も8。チームはア軍3連戦3連勝で、逆転地区優勝に向けて、松坂とレ軍が一気に突き進む。

 松坂自身、納得のいく105球だった。「ストレートも変化球もよかったので、楽に投げられた。前回『メリハリを付けなくてはいけない』と言ったけど、今回はそれができた」7月28日のエンゼルス戦は6失点KO。反省を生かしてつかんだ12勝目に、笑みがこぼれた。

 スライダーがさえわたった。見せ場は2回。先頭のゴンザレスに三塁打され、6番・ハナハンにはファウルで粘られた。フルカウントからの10球目、捕手のミットに収まる前にワンバウンドするほど、鋭く、大きく変化を見せた“宝刀”に、ハナハンのバットは空を切った。

 続くクロスビーは空振り三振。バートンは中飛。いずれも勝負球にはスライダーを選択した。「もともと自分の中で使えるボール。このくらい使えればピッチングが楽になる」自信を持って投げ込み、ピンチを無失点で切り抜けた。

 4回はカスト、トーマス、ゴンザレスの主軸から3連続空振り三振を奪う圧巻の投球。5回、バートンに右翼席へ2ランされたが、失点はそれだけだった。

 15勝12敗だった昨年は、8月4日の時点で13勝を挙げながら、その後に3連敗するなど失速した。それだけに「昨年は1年を通してのペースをうまく取れなかった。今年は積極的に休み、疲れを取るようにしている」と、メジャーでの経験をうまく生かしている。

 順調に勝ち星を伸ばしても、好調を維持する難しさは痛感する。ア軍との3連戦に3連勝し、首位・レイズとは3差をキープ。地区優勝に向け、大事な終盤に差しかかってくる。松坂の右肩にかかる期待は、ますます大きくなっている。

参照元:スポーツ報知
◆オリックス2―4ソフトバンク(3日、京セラドーム大阪) 23年目のシーズンの始まりは、今まで味わったことのない感情に支配された。同点の7回、先頭の相川に「代打・清原」が告げられる。球場内は大歓声に包まれた。わき上がる声援に背中を押されて打席に向かった。昨季、2度の左ひざ手術を受け、1軍出場がなかった背番号5が、06年9月8日の日本ハム戦以来、695日ぶりに1軍の打席に立った。
 大隣の初球、144キロの直球をフルスイングの空振り。最後はカウント2―2から140キロの直球にバットが回り、三振に倒れた。「歓声だけがすごく聞こえて、頭が真っ白になった。投手もほとんど見えてなかった。こんなことはプロに入って初めて」その姿にファンは惜しみない拍手を送った。ソフトバンク・王監督は「清原は1打席だとやっぱりしんどい。彼なりの決断で1軍登録したのだから、ベストを尽くして頑張ってほしい」とエールを送った。

 昨年7月、左大たい骨関節の軟骨のうち、傷ついていない軟骨を損傷部分に移植する大手術を受けた。「今、立って歩いているだけでも僕は驚き」本屋敷コンディショニングコーチはこう振り返る。今も患部は悲鳴を上げている。だからこそ「来年グラウンドに立てないと思う」と現役引退を覚悟するコメントも出てきたのだ。

 試合には敗れた。が、やっとたどり着いた1軍の打席。「誰もやったことのないことをやった充実感はある。明日からは結果を出せるよう、精いっぱいやっていきたい」背番号5の最終章が、いよいよ幕を開けた。

 ◆大隣「変化球放れる雰囲気じゃなかった」 ○…ソフトバンク・大隣は、清原との初対戦にオール直球勝負で挑んだ。「変化球を放れる雰囲気じゃなかった。チェンジアップのサインも出ましたけど、首振りました」と告白。初球にこの日最速144キロ、最後はカウント2―2から外角の真っすぐで空を切らせ「自分の中で自然な気持ちで投げました。清原さんと対戦できて良かった」と笑顔。試合でも白星を挙げ、自身初の2ケタ勝利をマークした。

 ◆長渕がアッコが復帰祝いの花輪 ○…695日ぶりに1軍復帰した清原のもとに、各界の著名人からお祝いの花輪が届いた。ロッカー前の通路を埋め尽くし、その数なんと53。芸能界からは親交深い歌手の長渕剛、和田アキ子、舘ひろし、ダウンタウンの浜田雅功など各方面の大物から続々。スポーツ界からも盟友・桑田真澄氏(本紙評論家)、アントニオ猪木、マリナーズ・イチロー、レッドソックス・松坂大輔、日本ハム・中田翔などが背番号5の復帰を祝った。チームメートたちは「すごい。こんなの見たことがない」と、驚きの表情だった。

参照元:スポーツ報知

◆フレッシュオールスターゲーム イースタン選抜8―3ウエスタン選抜(2日・山形タカスタ) 12球団の若手選手による「フレッシュオールスターゲーム2008」が2日、山形蔵王タカミヤホテルズスタジアム(山形県野球場)で行われ、イースタン選抜の4番、巨人・中井大介内野手(18)が右中間2ランなど3打点を挙げ、優秀選手賞を獲得した。イ選抜は12安打8点でウエスタン選抜を下し、通算成績を15勝25敗5分けとした。最優秀選手賞は2回に3ランを打った西武・原拓也内野手(24)が受賞した。

 完ぺきにバットの芯でとらえた。中井は振り切ったバットを、高々と放り上げた。「感触が良かったです。とにかく『行け!』って思っていました」5回、無死一塁。思いを乗せた打球は、右中間スタンドに吸い込まれた。自身が理想とする右方向への、会心の一打だった。

 強気な18歳ルーキーが、大仕事をやってのけた。大抜てきでイースタン選抜の「4番・遊撃」で先発。3回、5点目の適時二塁打を中越えに放ち、5回には2ラン。さらに7回。「がむしゃらでした」と遊撃への打球で頭から一塁に飛び込み、内野安打。3安打3打点に1盗塁の活躍だ。前日(1日)、巨人選手として45年ぶりのMVP獲得を宣言。惜しくもあと一歩、届かなかったが、05年の岩舘以来となる優秀選手賞を獲得した。
真っ先に報告したい人がいた。三重・伊勢市の実家でテレビ観戦していた父・美明さんだ。賞金50万円の使い道を聞かれると「父が誕生日なので、何か使えるものを贈ってあげたいですね」と即答した。実は3日が美明さんの64歳のバースデー。最高のプレゼントだ。「MVPも、と思ったんですが…これからまた頑張ってくれればいいです」息子の雄姿に父は感激の様子だった。

 イ選抜を指揮した巨人・吉村2軍監督は「いいバッティングを見せてくれた。後半戦に向けて自信にしてほしい」と、さらなる成長を期待した。「今季中に1日でもいいので1軍に上がりたい」と中井。未来の巨人を背負って立つ新星が、しっかりと存在感を見せた。

 ◆中井 大介(なかい・だいすけ)1989年11月27日、三重・伊勢市生まれ。18歳。宇治山田商では2007年夏の甲子園にエースで出場も初戦敗退。同年の高校生ドラフト3巡目で巨人に入団した。今季イースタンで65試合に出場し、打率2割6分4厘、6本塁打、34打点。180センチ、84キロ。右投右打。年俸540万(推定)。独身。

参照元:スポーツ報知
 楽天は2日、右肩痛で7月23日に出場選手登録抹消となっていた田中将大投手(19)を再登録した。五輪出場選手に対しては、五輪派遣期間中もフリーエージェント(FA)換算日数が加算される救済措置がとられるが、それには3日の時点で1軍登録されていることが条件。そのため、登板予定がないにもかかわらず昇格することになった。

 田中は3日に五輪派遣選手として再び抹消されるが、補充選手には「抹消から10日後」の再登録規定が適用されないため、田中に代わり登録抹消された朝井秀樹投手(24)が、すぐに再登録される予定だ。

参照元:スポーツ報知
中日・山本昌投手が得意の巨人戦で通算200勝を狙う。快挙に王手をかけた42歳左腕は、4日の巨人戦(ナゴヤD)に先発予定。「意識はあんまり変わらない。落ち着いてやるだけ」と平常心を強調した。

 目前に迫った大記録を達成するためには、これ以上ない対戦となる。巨人戦は現役最多の38勝を挙げており、苦手のイメージはない。この日はナゴヤDでの全体練習に参加。キャッチボールやダッシュで軽めの調整を行った。

 「個人的なことよりも、チームが勝てるようなピッチングをしたい。その中で勝ち星がつけば」と、ベテランらしくチームの勝利を最優先する姿勢を示す一方で「落ち着かないんで早く決めたい」と本音もチラリ。8月は本拠地での試合が8試合と少ない。すでに前売り券が完売している人気カードでの200勝達成に周囲も大きな期待を寄せている。

参照元:スポーツ報知
オリックスは2日、大石大二郎監督代行(49)が正式に監督に就任すると発表した。任期は来季終了までの1年半で、年俸は5000万円(推定)。大石監督は5月21日に辞任したテリー・コリンズ前監督(59)の後を受け、ヘッドコーチから監督代行に就任。その後26勝22敗1分けとチームを立て直し、クライマックスシリーズ(CS)進出圏内の3位へ2・5ゲーム差の4位まで引き上げた手腕が評価された。

 宮内義彦オーナー(72)は「苦労しながらもチームをまとめ、勝利を重ねてくれた。チームはCSを狙える状況にあり、さらに一丸となって戦ってもらうためにも後半戦及び来シーズンについて大石監督代行に正式な監督就任をお願いし、快諾いただいた」とコメントを発表した。

 前日(1日)に要請を受けたという大石監督は「監督というのをやってみたいというのはあったし、うれしい。僕自身は変わらない。一戦一戦戦っていくだけです」と意欲をみせた。

 ◆大石 大二郎(おおいし・だいじろう)1958年10月20日、静岡市生まれ。49歳。静岡商から亜大を経て、80年ドラフト2位で近鉄に入団。82年に新人王獲得。俊足好打の二塁手として活躍し、プロ17年で盗塁王を4度獲得。2003年から近鉄のコーチを務め、球団統合により05年からオリックスのコーチに就任した。166センチ、72キロ。右投右打。

 ◆清原引退決定後入閣要請へ 清原が復帰会見で突然、今季限りで引退する意向を明かしたことに、球団も驚きを隠せなかった。会見に同席していなかった中村勝広球団本部長(59)は「聞いていなかった。(会見前の)表情からして、悲壮な決意で挑むというのは感じたが…。頑張ってほしい」とひとまずエールを送った。

 ある球団幹部は「本人がはっきりと(引退すると)言ったわけではないので、仮定の話はできない」と語ったが、宮内オーナーを始め球団側は功労者として高く評価。清原が引退を正式に発表し、ユニホームを脱いだ際には、大石政権でのコーチとしての入閣を要請するものとみられる。

参照元:スポーツ報知
ソフトバンク・王貞治監督(68)が2日、オリックス・清原に対し、複雑なエールを送った。3日からのオリックス3連戦(京セラD、スカイ)で対戦を控えており「活躍は困る」と前置きする一方、球界発展に必要な選手として期待した。

 この日、福岡・雁の巣球場での全体練習後、新幹線で大阪へ移動。オリックスは2・5差の4位に迫っている相手だけに「ウチとしては対戦相手だから、あまり活躍をしてもらっては困る」とけん制した。しかし、存在感など一目を置いており「球界のスターだし、彼は必要。彼が今、自分のバッティングをすればファンが喜ぶ」と、熱弁を振るった。

 突然の表明については「来年のことを今言ってもしょうがない。ひざが良くなれば、やってみてできるとなるかも知れない」と、言葉を選んだ王監督。ライバルチームを勢いづかせないため、まずは全力で封じるつもりだ。

参照元:スポーツ報知
◆第90回全国高校野球選手権大会 ▽1回戦 鹿児島実14―1日大鶴ケ丘(3日・甲子園) 第1試合は18年ぶりに出場した日大鶴ケ丘(西東京)と鹿児島実(鹿児島)が対戦。鹿児島実は田野尻の満塁本塁打などで14点を奪い快勝した。

 鹿児島実が投打に圧倒した。打線は14安打14得点の猛攻。田野尻は5回に満塁本塁打を放つなど3安打6打点の活躍だった。先発の岩下は7回を投げ5安打1失点に抑えた。

 岩下は1回、無死満塁のピンチを招いた。だが、「バックを信頼してゴロを打たせようと思った」と開き直ると、続く小野を併殺に打ち取るなどして無失点で切り抜けた。

 8回からはけがで出遅れていた松窪にマウンドを譲った。岩下は「次はどちらが先発するか分からないが、2人で勝っていきたい」と次戦を見据えた。

 日大鶴ケ丘は攻守に勢いをつくれなかった。打線は6安打。先発の山地は制球が甘くなったところを狙われ、守備も4失策と崩れた。1回無死満塁の絶好のチャンスに4番・小野が併殺打に倒れた。萩生田監督は「あそこで点を取っていれば違った展開になっていた。あれで重い空気が流れた」と残念がった。守備でも2回に2死から連続失策で先制点を許し、「技術というより気持ちの面で攻め切れなかった」と、萩生田監督は序盤の攻防を最後まで悔やんだ。

参照元:スポーツ報知
オリックス・清原和博内野手(40)が2日、今季限りで現役を引退する意向であることを突然、明かした。京セラDでの練習前、球場内の会議室で会見に臨み、「来年、グラウンドには立てないと思います」と心境を吐露した。昨年2度の手術を受けた左ひざの故障から、3日のソフトバンク戦(京セラD)で、2006年9月8日の日本ハム戦(スカイ)以来695日ぶりに1軍復帰する男が、集大成に向けグラウンドに立つ。

 その言葉、表情、そして口を開くたびに目にたまっていく涙が、清原の決意を表していた。左ひざの故障から695日ぶりの1軍復帰を果たす男が、突然自らの進退について口を開いた。

 「正直、以前のような清原らしい打撃ができるのかという不安でいっぱいです。無様な姿をさらけ出すかもしれません。明日つぶれてしまうかもしれません。こんな状態では、来年、グラウンドには立てないと思います」

 痛みを抱えたまま復帰に踏み切った現在の左ひざの状態では、来年プロ野球選手として24年目のシーズンを迎えることは難しい―。こぼれそうになる涙を必死にこらえながら、正直な思いをゆっくり、ゆっくりとはき出した。

 気持ちを突き動かされた出来事があった。7月29日に、1軍合流前の最後の儀式として、桑田真澄さん(スポーツ報知評論家)とフリー打撃で対戦。魂のこもった38球に正面からぶつかり「生涯最高の練習をやってもらった。桑田の魂を胸に頑張っていきたい」と喜んだが、その反動も大きかった。「(ひざにたまった)水の量が倍になった」2軍戦の出場では、大きな支障のなかった左ひざが、対戦日の夜からはれ上がった。

 オールスター期間のオフを利用して、故郷の大阪・岸和田市に帰省。自らの決意を両親に伝えた。「先祖のお墓参りをしようと思いまして、母親をおんぶして向かいました。面と向かってしゃべるとあれなので、おんぶしたまま伝えました」その言葉を聞いて涙を流す母の姿を思い出すと、また瞳に涙がたまった。

 「ホームランをあと1本打ちたい」と周囲に漏らしているという。心残りは、二男(3)が物心ついてからまだアーチをかけていないことだ。「明日からの1打席1球が、自分の野球人生の集大成だと思って、バットを振り込んでいきたいと思います。1球1球魂を込めてスイングしますので、それを見ていて下さい」すべてを話し終えた清原の目からは、涙が消えていた。PL学園、西武、巨人で日本の野球ファンに愛され続けてきた男が、最後の足跡を残すためにグラウンドに帰ってくる。

 ◆清原 和博(きよはら・かずひろ)1967年8月18日、大阪・岸和田市生まれ。40歳。PL学園では5度の甲子園出場で1年夏、3年夏に全国制覇。85年のドラフト1位で西武に入団。96年オフにフリーエージェント(FA)で巨人に移籍。05年オフに戦力外通告を受けオリックスへ。通算2316試合に出場し、歴代22位の2118安打、歴代5位の525本塁打。1944三振、196死球はいずれも歴代最多。86年に新人王、ベストナイン3度、ゴールデングラブ5度獲得。今季の推定年俸は1億1000万円。家族は夫人と2男。188センチ、104キロ。右投右打。

 ◆桑田さん「燃え尽きて」 ○…清原の決意を聞いた桑田さんは「まだ本人から電話をもらってないから何とも言えない。僕が言えるのは、燃え尽きるまでやってほしいということだけ」と多くを語らなかった。「僕たちは心でつながってきたから」と口にする桑田さん。悲壮な決意が分かっていたからこそ、打撃投手を買って出たのかもしれない。練習を終えたとき、「ありがとう」と清原から手を差し伸べられて抱き合った。「グッときて、ボロボロと涙がこぼれてきた」と桑田さん。最後のエールを込めての投球だったようだ。

参照元:スポーツ報知
 ◆カブス5―1パイレーツ(2日・シカゴ) カブスの福留孝介外野手は7回に代打で右前打を放った。右翼を守り、2打席目は回らなかった。打率は2割8分2厘。

 福留孝介外野手「(代打で安打)自分の打てる球を打つこと。そこだけは絶対にどんなピッチャーに当たっても外さない。(先発でなくても)ある程度、途中からいくとは思っている」

参照元:スポーツ報知
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