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2発を含む8安打に、4四死球。2回に4長短打で4失点。逆転直後の5回には中島に逆転2ランを浴びた。同点に追いついて迎えた7回には、ブラゼルに決勝2ランを献上。「左打者にスライダーで死球とか、あり得ない。意識が足りない」と受けた里崎。味方が得点した後の回をゼロに抑えるという投手の鉄則が守れなかった。
五輪本番に向けても手痛い5敗目だ。この日の不安定な内容では先発はおろか、救援としても起用に不安が残る。残された時間はそう多くはない。
参照元:スポーツ報知
「『勝って下さい』ってなことばかりやってんだもの…」ぐったりした表情で会見場に現れた野村監督。ぼやきの種は、もちろん、勝利目前の9回に繰り広げられた悪夢の逆転劇だ。
誰の目にも明らかな最大のミスは、無死一塁で荒金の投ゴロを間に合わない二塁に投げた有銘の野選。だが、指揮官がぼやいたのは、そこにいたるプロセスだった。「相手の心理や考えを読むとか、頭を使うことができない。ずっと言ってる“無形の力”ですよ」。
まず、先頭の代打・大村に許した中前打。「それまで、左打者にはぜ~んぶ初球が変化球(スライダー)だった。だから、ふだんは初球を打たない大村に大ヤマを張られてる」と、前の回から配球がパターン化していた有銘―嶋のバッテリーをバッサリ斬り捨てた。
さらに、続く荒金への攻め方も怒りを増幅させた。「明らかにバントをしにきてるのに、変化球ばっかり。一塁側に転がしたいんだから、内角に速い球をいけっちゅうの」と、相手心理を見抜けない未熟さにイライラ。結局、1―2とボールが先行し、ストライクを取りにいった4球目に荒金はバントの構えから強打。有銘の野選でピンチが広がった。
9回の守りを終えると、すぐに嶋を呼びつけて説教した老将。ぼやきの種は尽きないが、一方でミスを恐れて、委縮気味に映るナインの姿も気になっている。「オレを見て野球をするなって。お客さんに喜んでもらうのが仕事だろう」。スタンドはこの日も満員。2日のロッテ戦から遠ざかっている本拠地での勝利をプレゼントすることが、ナインに課せられた一番の使命だ。
参照元:スポーツ報知
獲物を狙う眼光でサインを見た。首を振ること、3回。田中が選び、そして投げ込んだのは、直球だ。同点の7回2死二塁。148キロの剛球で松田を追い込み、さらに再び真っ向勝負を続けた。「自分で何を投げたいか、自分を押して投げました」最大の危機を中飛でしのぎ、123球の熱投ショーを締めくくった。
7回3失点。同点のままマウンドを降りた。6月3日の阪神戦(Kスタ宮城)以来、46日間も遠ざかっている白星はまたもお預けになった。それでも、内容は良かった。4月12日のオリックス戦(同)以来の今季3度目の2ケタ三振、今季自己最多タイの10Kをマークした。「今日は久しぶりに三振が取れた。自分らしい投球ができたと思う。それが何よりの収穫です」チームの敗戦に笑顔満開とはいかなかったが、納得の表情を見せた。
日の丸を背負う自覚が、マー君の球をよみがえらせた。この試合前までの3試合、24イニングで12失点。体の開きが早く、下半身を使えず、苦しい投球内容になった。しかし、この日は違った。技術的な修正はもちろん、精神面で変化があった。「序盤から気を引き締めて入っていけた」日本代表に選ばれて最初の試合。気持ちの入り方が違うのは当然だった。
6月下旬のことだ。代表入り候補選手が都内に集まり、ユニホームの採寸をした。岩隈と参加した田中はその時、衝撃を受けた。「これだけのすごい人たちと一緒に野球ができるのか、と思った」と自らのブログにつづった。マー君は選ばれた。しかし、岩隈は漏れた。先輩の思いと悔しさを背負うことになったことで、無様な投球はできないと自分に誓った。
代表合流までに、さらに状態を高めていく。「良かったり悪かったりだけど、修正して前に進んでいきたい」夢と希望を胸に、19歳が世界に飛び出す。
参照元:スポーツ報知
日本の先発・岩田(明大)が緩急あるピッチングで完投。打線も1回に相手の守備の乱れもあって先制すると、7回に大野(東洋大)の適時打で加点した。
参照元:スポーツ報知
打撃不振が続く福留が、この日は珍しく同僚のソトのバットを使うなど気分転換。4回の第2打席に12日以来、12打席ぶりとなる左前安打を放った。しかし、続く2打席はともに見逃し三振。完全復調とはいかない様子だった。
参照元:スポーツ報知
後半戦から1番に入っている松井稼は3四球を選び、「1番としては、四球でも何でもいいから塁に出たい。そういう意味ではよかった」と充実した笑みを浮かべた。
1回はいきなり9球を投げさせて四球を選び、前半戦で2けた勝利を挙げた相手エース・ザンブラーノのリズムを崩した。「たくさん投げさせたというか、こっちも必死。相手はいい投手。それで3つ取れたのはね」満足げだった。
松井稼頭央内野手「(3四球は)多く投げさせたというか、こっちも必死。(1番打者での起用は)任された以上はしっかりやりたい」
参照元:スポーツ報知
◆横浜6―7巨人(18日・横浜) 小笠原、ラミレスのアベック弾で巨人が連敗を止めた。2点リードの3回、まずラミちゃんが左翼場外へ消える27号2ラン。推定飛距離160メートル弾で勢いをつけると、5回にはガッツも左越えへ19号。OR砲がそろってアーチをかければ負けなしの6連勝。先発のグライシンガーは6回を3失点にまとめ、自身3連勝で9勝目。首位・阪神とは11・5ゲーム差のままだが、北京五輪期間中も投打の中心選手の大半がチームに残る巨人なら、8月に奇跡を起こせる。
パワーと技で打った2本のアーチが、チームの連敗を止めた。ラミレスと小笠原は、勝利に沸くベンチ前でハイタッチを交わした。今季、OR砲アベックアーチは6戦全勝。原監督も「3、4番が見事に打ってくれた。頼りになります」と対横浜戦5連勝を導いた大砲2人に、賛辞の言葉を惜しまなかった。
まずは、ラミレスが特大弾でチームに勢いをつけた。2点リードの3回2死一塁。那須野のど真ん中のチェンジアップをすくい上げると、打球は左翼席を超えて、場外に消えた。推定飛距離160メートルの豪快アーチに「入るとは思ったけど、まさか場外まで行くとはね。打球を見失ったよ。この球場での場外弾は2本目だけど、野球人生で一番飛んだね」と自画自賛で4試合ぶりの27号2ランを振り返った。
最近は仲間から何かを吸収しようとしている。試合前練習では打撃ケージに体を預け、10分近くチームメートの打撃に視線を送っている。「両足の使い方とか、ひじの使い方、ほかにも見るべきところはたくさんある。僕も日々、成長したいから、いい勉強になるよ」と説明する。若手もベテランも関係なく、熱視線を送る。5回にも中前安打して4試合ぶりのマルチ安打。実績があっても、慢心はしない。だから、好不調の波をつくらない。
目の前の場外弾で、ガッツの闘志に火がついた。社会人、NTT関東時代に横浜スタジアムで場外弾を放った男は、ただでは終わらない。3点リードの5回1死で、三橋の外角ぎりぎりのシュートにバットを振り抜いた。バックスピンのかかった打球は、左翼席最前列で弾んだ。3試合ぶりの19号ソロに「変化球をうまく打てた。打席ではラミちゃんにつなげることだけを考えていたよ」飛距離は115メートルでも、同じ一発は一発。今季2本目の左方向へのアーチと、左ひざの状態も良好だ。
2人がいれば、大丈夫。小笠原は前日(17日)、8月の北京五輪代表から外れた。本人には悔しいが、チームにとってはありがたいこと。7月に入り、ガッツが打率3割7分7厘で、ラミレスは3割8分6厘、本塁打はともに7本と、2人のバットで五輪期間中に奇跡を起こすことも夢ではない。「みんな知っての通り、僕は夏男だからね」R砲の言葉が、恐ろしく頼もしい。
巨人・原監督「(小笠原とラミレスの)3、4番が見事に打ってくれました。頼りになりますね。(鈴木尚と岩舘の)1、2番もそつなく持ち味を出せました。グライシンガーは変化球の制球が少し高かったが、ボールそのものは来ていた。先発としていい形で投げてくれました」
参照元:スポーツ報知
楽天・野村克也監督(73)が18日、北京五輪野球の日本代表に選ばれた田中将大投手(19)に、チームを離れるまで“フル回転”させる考えを示唆した。星野代表監督から「フル回転してもらう」と指令の下った右腕に、ノムさんも「マー君を(北京に行くまで)酷使するかな」と話した。
試合直前の降雨中止に、9連戦中の4試合目が思わぬ休養になった。「連戦のときの雨は歓迎。屋根がついてなくてよかった」と野村監督。この日はローテの谷間で、青山が先発するはずだったが、スライドはさせず、19日は予定通りマー君を投入することを決めた。
田中は26日のオリックス戦(京セラD)を含め、前半戦の先発はあと2回。しかし、ノムさんのツルの一声で、前半戦最後の28日からのロッテ2連戦ではブルペン待機。中継ぎ登板もありうる。球宴ではストッパー起用が決まっているだけに、代表合流までに先発、中継ぎ、抑えのフルコースを体験できる可能性も出てきた。
参照元:スポーツ報知
骨折した左手有鉤骨鉤(ゆうこうこつこう)の骨片除去手術を受けた日本ハム・中田翔内野手(19)が18日、都内の病院を退院した。2軍戦の復帰は9月になる見込みで、今季中の1軍昇格について「ちょっと難しいと思う」と白旗を掲げた。
16日に全身麻酔で人生初の手術を受け、7針を縫った中田の左手には包帯が巻かれていたが、「これからは焦らず、余裕を持ってやりたいッス」と表情は達観していた。医師の診断によれば、抜糸に2週間、バットを持てるようになるまで4週間が必要。「フルスイングするならもっとかかる。実戦復帰? 8月中は難しいかな」と中田は分析。さらに、森寮長から通常練習に参加できるまで外出禁止を再び命じられ、「だるいな」とぼやいた。
イースタンでは3戦5発を放ったが、梨田監督から「全然、興味ない」と突き放されただけに、「結果を残しても守備が(ダメ)と言われたので。治って調子を上げても、(1軍には)上げてもらえないでしょう」と“終戦”を覚悟したかのようだった。怪物のルーキーイヤーは、このまま終わってしまうのか。
参照元:スポーツ報知
◆中日1―2阪神(18日・ナゴヤドーム) こんなはずではなかった。本塁と一塁ベースの間に立ちつくした岩瀬は、腰に両手を当てて首をひねった。同点で上がった9回のマウンドに、思いもよらない悪夢は待っていた。
先頭の鳥谷に左前打で出塁されると、1死から代打・高橋光、関本に連打。1死満塁から矢野に決勝打を許した。狙いすましたように打ち込まれ、「いつもより投げミスが多かった」と声を絞り出した。
絶対的な守護神の乱調で、対阪神戦5連敗。「見どころは9回だけだったな、お互いに。9回だけ見てりゃ、お客さんも楽しかっただろう」独特の言葉で、落合監督は悔しさをにじませた。8月に控えた北京五輪でも、左の抑えとして日本代表の「勝利の方程式」には欠かせない存在。「切り替えてやります」と、左腕は前を向いた。
参照元:スポーツ報知
オリックス・清原和博内野手(40)が18日、数々の名対決を繰り広げたライバル野茂英雄投手(39)の引退について「偉大な投手でした。同じ時代に野球ができてうれしく思う」と、最大限の賛辞を贈った。
「平成の名勝負」と呼ばれた2人の初対決は、1990年4月10日の近鉄対西武戦(藤井寺)。清原は「マウンドでまさに仁王立ち。普通の投手とは違う感覚があった」と、当時を振り返った。この日プロ初登板の野茂が、初めて三振を奪った相手も清原だった。
その後、野茂がメジャー移籍するまでの5年間で118打数42安打10本塁打、打率3割5分6厘の高打率を残し、同時に34三振も喫した。「自分の球で勝負できる、最後の投手だった。自分の球を投げられなくなったから(引退の)決断に至ったのでは」と、少し寂しそうに語った。
一方、自身は昨年の左ひざ手術から復活を目指し、この日もウエスタン、中日戦(北神戸)に出場。5回の第3打席で左翼線二塁打を放ち、1軍復帰へ前進した。「死闘を繰り広げた選手たちが引退するのはつらい。でも、僕自身は誰もやったことがないことに挑戦しているわけですから、自分の目標を定めてやっていきたい」と、表情を引き締めた。
参照元:スポーツ報知
◆ロッテ6―8西武(18日・千葉マリン) ベビーフェースが勝負師の顔に変わった。二塁走者の中島は腹を決めてスタートを切った。7回1死二塁。日本代表選出の吉報を追い風に、アクセル全開で駆けだした。投球前に三盗を敢行すると、あわてたマウンドの松本は三塁へ悪送球。一気に本塁を陥れ、勝負を決める1点を奪った。
「狙ってました」。二塁打で出塁後、左腕の松本が登板。ワンポイント起用で打者に集中する投手心理を見透かし、ノーサインで走った。8回に1点差に迫られただけに、事実上の“決勝点”。渡辺監督は「予想もつかないことをする。デンジャラスボーイだ」と独特の言葉で称賛した。
北京への思いが25歳に火をつけた。17日に発表された日本代表24人の“最後の一人”として滑り込んだ。星野監督が会議で投手枠を10人に削減する決断をした瞬間、田淵ヘッドコーチは「中島を入れよう」と切り出した。プロ入り前を含め初の日本代表。中島は「メッチャうれしかった」と心から喜び、士気を最大限まで上げて試合に臨んだ。
打っては7回の右中間二塁打に続き、9回にはダメ押し右前適時打を放った。星野監督は野手のメンバー選考時、外角に広いストライクゾーン対策として右打ちの技術を重視。右方向への2安打で国際試合への適性もアピールした。
昨年9盗塁から今季早くも16盗塁。打率はリーグトップを走り、17本塁打と長打力も備える。「選ばれたからには気合入れて頑張ります」。打力、走力に頭脳まで兼ね備えたデンジャラスな男が、星野JAPANの救世主になる。
参照元:スポーツ報知
◆中日1―2阪神(18日・ナゴヤドーム) 阪神・藤川球児投手(27)が、プロ野球史上8人目となる2年連続30セーブ目を挙げた。1点リードの9回から登板し、2死一、三塁で代打・立浪との対戦前には今季初めてマウンドに来た岡田監督の激励を受け、発奮。前日(17日)は北京五輪日本代表に選出され、一夜明けたこの日、日本タイ記録の46セーブをマークした昨季より1か月近く早いハイペースでの大台到達で見事に応えた。
不動の守護神・藤川も、その姿に驚いた。「誰かと思ったよ」9回2死一、三塁。代打・立浪のコールされた場面で、突然ベンチから出て、マウンドの藤川の元に駆け寄ったのは岡田監督だった。
「びっくりしたけど、『同点も逆転も一緒。お前に任す』と言われた。どーせーあーせーじゃなくて『好きなようにやれ』と言ってもらったんでうれしかった」最後は自慢の直球で投ゴロに仕留め、史上8人目となる2年連続、今季83試合目での超ハイペースの30セーブをマークした。
決して完ぺきとはいえなかった。1点をリードした最終回に登場し、1死からウッズを四球で歩かせると、続く和田には中前安打。一転してピンチに立たされた。中村紀を中飛に打ち取ったが、代打・立浪には「歩かせようと思ってたけど、(監督が)出てきたのでやめた」と、真っ向勝負を選んだ。
今季初めてマウンドに上がった指揮官も「中途半端だけはせんようにな。あそこまでいって打たれたらしゃーないよ」と、リリーフエースをたたえた。前日(17日)北京五輪野球の日本代表メンバーに選出され、その御礼マウンドで見事、周囲の期待に応えた。
日本タイ記録の46セーブを挙げた昨年は8月10日の横浜戦(横浜)で大台に到達したが、今季はそれを1か月近く上回る。チームも対中日戦5連勝。「梅雨も明けたし、球も切れてきた」頼もしい火の玉エースが、阪神に、そして日本にはいる。
参照元:スポーツ報知
ドジャースは、右ひじを故障した斎藤隆投手(38)が家族に会うため、日本へ一時帰国すると発表した。10日前後、滞在する予定。斎藤は12日のマーリンズ戦で右ひじを痛め、精密検査の結果「右ひじねん挫でじん帯を痛めている」と診断された。故障者リスト(DL)入りし、約6週間のリハビリ後に再診を受けるが、斎藤は、「手術の可能性がないわけではないが、今はリハビリがベストと思う」と話した。
回復が遅れた場合の引退の可能性には「野球を辞めることは今のところは全く考えていない」と話し、早期復帰へ強い意欲を示した。
参照元:スポーツ報知
松井の代役はセクソンンか。ヤンキースが、前マリナーズのリッチー・セクソン内野手(33)を獲得したと、AP通信が報じた。左ひざ痛で故障者リスト(DL)入りしている松井秀喜外野手(34)の復帰のメドが立たず、クリーンアップを打てる強打者を獲得したと見られる。
セクソンはメジャー通算305本塁打を誇る右の大砲。だが、昨季から打撃不振に陥り、今季も74試合の出場で打率2割1分8厘、11本塁打、30打点と低迷していたため、今月10日にマ軍を戦力外となっていた。ヤ軍は松井が離脱してからDHを固定できていなかったため、その穴を埋めるために、長距離砲の緊急補強に踏み切ったようだ。
6月22日を最後にプレーしていない松井は、休日だったこの日、ニューヨーク市内で静養に努めた。後半戦開幕となる18日の本拠地でのアスレチックス戦の試合前に球団首脳と今後の対応を話し合う。しかし、代役が決まったことから松井が早期復帰を求められないことは明らかで、手術を勧められる可能性が極めて高くなった。
メスを入れずに早期復帰することが本人の願いだったが、16日には「手術が一番いいとなったら仕方がない」と、勧告を受け入れる姿勢も示し始めた。手術を受ければ今季は絶望となる。松井の決断に注目が集まる。
◆リッチー・セクソン 1974年12月29日、米オレゴン州生まれ。33歳。93年ドラフト24巡目でインディアンス入団。97年にメジャーデビュー。99年に31本塁打、116打点で、地区優勝に貢献。ブルワーズ時代の02、03年にはオールスター出場。Dバックスを経て、04年オフに4年総額5000万ドル(約53億円)でマリナーズへ移籍。通算1345試合、打率2割6分1厘、305本塁打、937打点。203センチ、106キロ。右投右打。
参照元:スポーツ報知
◆レイズ―ブルージェイズ(18日・セントピーターズバーグ) 前半戦を7連敗で終え、ア・リーグ東地区2位に後退したレイズの岩村明憲内野手は「1番・二塁」で出場し、第1打席で左前打を放った。
岩村が後半戦最初の試合で存在感を見せた。1回、先頭打者で打席に入り、技ありの左前打。「リスタートと考えて原点からやり直すだけ」と話していたが、試合を待ちわびた本拠地ファンの大歓声を受け、一塁を駆け抜けた。
4球ファウルで粘った後の8球目。外寄りの変化球に逆らわず、左前に運んだ。後続が凡退しホームは踏めなかったが、岩村らしい球の見極めとバットさばきで、リードオフマンの役目を果たした。
参照元:スポーツ報知
北京五輪野球の日本代表編成委員会が17日、都内で行われ、日本代表24選手が発表された。
自らの言葉で、巨人・上原浩治投手(33)は不安をぬぐい去った。「応援する国民へ抱負を」と報道陣に聞かれた時だった。「大丈夫です、と言いたいんですけど…」2秒、間をあけて続けた。「どうにかします」最後は自分に言い聞かせるように、力を込めて言った。
2度目の五輪出場にも表情はこわばった。「前回(アテネ五輪)、悔しい思いをしているので、金メダルを取りたい」と頂点を目指すことを宣言。だが「個人的には周りに迷惑をかけないように。それしか言えないです」と歯切れが悪かった。
先発復帰した今季、開幕から不調で、4月下旬には2軍での再調整を命じられた。交流戦明けから中継ぎとして1軍に戻ったが、ここまで14試合、2勝4敗、防御率6.46と屈辱の数字が残っている。
一向に復調しない状況に「辞退」の2文字が頭をよぎったこともあった。「正直、今でも悩んでいます。自分だけ成績を挙げていないのにいいのか、という思いはあります」それでも「過去の実績は関係ない。プライドも捨ててやっていかないと」と泥にまみれてでも再生することを誓った。
◆阿部金で恩返し ○…巨人・阿部は中大4年時の00年シドニー五輪に出場して以来の選出。「今回はプロとして行くので、想像を絶するプレッシャーがあると思う。結果を出すことが選んでくれた方々への恩返し」と闘志を燃やした。「目指すものは金メダル」ときっぱり。「北京は暑いと聞いているので、合宿では(本番で)バテないような練習ができれば」と、まずは酷暑に体を慣らす。
参照元:スポーツ報知