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【グアム(米国)9日】 巨人・阿部慎之助捕手(28)がグアムでの自主トレ初日、地下足袋を履いて練習を開始した。トレーニングシューズより滑りやすいため足元への注意が必要で、故障がちだった下半身の強化に役立たせるのが狙い。また、同行している坂本勇人内野手(19)は阿部から懐深くボールを呼び込む「慎ちゃん打法」を伝授され、1軍定着を目指す。
08年、阿部の最初の変化は足元だった。緑の芝を、地下足袋で踏みしめて走り出した。「(足袋の)中でも足が動くし、指でしっかりと地面をつかもうとしないといけない。ずっと踏ん張る形になるからきついよ」と汗をぬぐおうともしない。
地下足袋は出発前に父・東司さん(51)が持たせてくれた。幼いころから父に徹底的な打撃指導を受けて育った阿部は素直に従い、「足首が弱いということもあるし、下半身を強化する狙いもある」とバッグに忍ばせた。昨季は6月10日の日本ハム戦で左足首をねん挫し、翌日の試合を欠場するなど、入団から足首の故障に悩まされた。地下足袋は故障防止への配慮といえる。
足元が変わり、動きも軽快になった。本格的な練習は昨年の北京五輪予選以来。ランニング、キャッチボール、ゴロ捕球に加え、「少しだけ握ってみたくなったから」としばらく振るつもりがなかったバットを持ち出し、トス打撃、ロングティー打撃も行った。約3時間の始動に「イメージしていたより動けた。もっと全然ダメなんだろうなと思っていたから」と手ごたえを感じた。
昨季の反省も忘れない。6月までの前半戦は打率3割2分と好成績を残しながら、7月以降は2割3分と数字を下げた。「調整が早すぎるってことかなと思った。少しでも並行にさせないと」疲労のピークが8月の北京五輪や9月のペナントレース終盤と重ならないように、勝負所を見据えて、じっくりとペースを上げていく。北京五輪の金メダルと日本一の奪回。「2つの金」を目標に掲げる厳しいシーズンの第一歩を、阿部は地下足袋で力強く踏み出した。
参照元:スポーツ報知
阪神にFA移籍した新井の人的補償として広島移籍が決まった赤松真人外野手(25)が9日、広島市内の球団事務所で入団会見を行い、「赤星さんと盗塁王争いをしてみたい」と、5年連続盗塁王の経験のある先輩に、挑戦状をたたきつけた。背番号は38。
この日、広島市民球場を訪れたブラウン監督は「今まで通りのプレーをやってくれと伝えた。ポジション? 間違いなくセンターだ」と昨季まで中堅を守ったアレックスの配置転換まで示唆した。今後は15日からの合同自主トレに参加し、キャンプに備える。「背番号(38)以上盗塁したい」50メートル5秒6の俊足男は、高らかに宣言した。
参照元:スポーツ報知
西武が、大学・社会人1巡目・平野将光投手(24)=JR東日本東北=の希望を受け、西武ドームのロッカールームと、キャンプ地宿舎の宮崎・南郷プリンスホテル内にダーツマシンの設置を検討することになった。
週4回は的に向かうというダーツ大好きルーキーが球団を動かした。平野は9日、約1万円のマイダーツを持参して入寮。「どこかに専用台が欲しいですね」と語ったのを受けた小林信次球団社長は、ダーツ好きの選手が多いこともあって「あそこ(南郷)は遊ぶとこがないから考えとくよ」。日本ハムが卓球台を設置した例にならい、ロッカールームへの導入についても「いいねえ」と前向きな姿勢を見せた。
平野はかつて清原、松坂らも使った“出世部屋”に入室。「目標は最多勝プラス最優秀防御率」とぶち上げたが、まずはダーツ導入で存在をアピールする。
参照元:スポーツ報知
オリックスは9日、前西武のアレックス・カブレラ内野手(36)の獲得を発表した。1年契約で年俸は2億5000万円プラス出来高(推定)で背番号は42。近日中に正式契約を交わすが、来日後のメディカルチェックで禁止薬物の使用が発覚した場合、契約を破棄する条項が盛り込まれた。昨年12月、米大リーグの禁止薬物使用の実態を報告した「ミッチェル・リポート」でリストに名前が挙がった同選手の獲得に、慎重を期す形となった。
01年から7年間西武でプレーしたカブレラは、来日前の00年、当時所属のダイヤモンドバックスでステロイドを使用した疑惑をかけられている。本人は全面否定しており、オリックス側もその主張を信用する形で、今回の獲得に至った。来日時に神戸市内でメディカルチェックを受診。中村勝広球団本部長(58)は「そこで(薬物の)陽性反応が出たら契約破棄」と語っており、潔白を証明してから、晴れてチーム合流となる。
参照元:スポーツ報知
日本ハムの高校生1巡目・中田翔外野手(18)=大阪桐蔭=が、9日、千葉・鎌ケ谷のファイターズタウンで他の新人とともに約2時間の初練習した。
グラウンド外でも、中田は「プロ初日」のハードルを越えた。不安だった朝寝坊は、4個も持ち込んだ目覚まし時計の効果もあり、午前8時に起床。朝食後に大学・社会人3巡目の宮西(関学大)を起こす余裕も見せた。
合宿所からグラウンドまでの移動では、のべ約100人ものファンにサイン。球団関係者の「練習に支障をきたすのでは」という心配をよそに、中田は「サインを書くこと自体は、僕としてはありがたいこと。いつまでも『サインください』と言われる選手でありたいので」と練習以外でも大物ぶりを十分に見せつけた。
参照元:スポーツ報知
楽天の高校生ドラフト1巡目、寺田龍平投手(18)=札幌南=が「野村ID野球」に「寺田IT野球」で対抗する。9日、仙台市内の「泉犬鷲寮」に入寮。北海道屈指の進学校を出る右腕は、持参した電子辞書を利用して野村監督の考えを解読していく考えを明かした。さらに、パソコンを購入して1月中にもブログを開設する予定。グラウンド内外でIT戦術を駆使し、プロの世界で成功をつかむ。
期待感で胸をいっぱいにした寺田が、笑顔で初めての一人部屋に入った。昼過ぎに札幌から仙台に到着。「この日を本当に楽しみにしていました。気合が入ります」北海道有数の公立進学校からプロの門をたたいた文武両道の右腕は、早速小さなケースに入った電子辞書を大事そうに取り出した。これが寺田の最初の“武器”になる。
「監督は難しい言葉を話すので、これを使って勉強していきたいと思って」ミーティングなど随所で教養をちりばめる野村監督の言葉を、余すところなく理解するのが狙い。ドラフトで指名を受けるまで受験勉強に使った愛用の電子機器は、辞書100冊以上の単語を収録。国語辞典や英和・和英辞典に故事やことわざ、四字熟語に百科事典という豊富な情報量だ。
「高校でも野球のメモは欠かさなかった。プロでは学ぶことが多いと思うので、もっともっと増えると思います」高校時代のノート3冊を寮に持ち込んだが、プロでは辞書を駆使して「野村ID」を吸収していく。
プロとして、ファンには自分の考えを発信する計画もある。「ブログをやろうと思ってます。友達に近況を伝えたいし、ファンにも見てもらえたらうれしい」新人では異例の1月中に開設予定。楽天は公式サイト内にも選手ブログがあり、球団関係者は「マネジャーらと相談することになるが、個人のブログは自由」とバックアップする。
13日からは新人合同自主トレが始まる。この日は同じ高校3巡目・石田隆司投手(18)=東海大仰星=と4巡目の菊池保則投手(18)=常磐大高=も入寮。「まずは焦らず体をつくっていきたい。1軍に1度でも行けたら」と意気込みを語った。電子辞書にパソコンを駆使した「IT野球」で野村IDに対抗し、寺田がプロで生き残る。
◆野村監督のID野球 IDは「important data」の略。直感にとらわれず、データを重視した戦術のことで、90年のヤクルト監督就任時に提唱。古田、飯田、土橋らが“ID野球の申し子”と言われた。ヤクルトを率いた9年間で4度のリーグ優勝を果たし、流行語となった。
◆IT(information technology) コンピューターやデータ通信などに関する情報技術を総称する言葉。
参照元:スポーツ報知
日本ハムの高校生1巡目・中田翔外野手(18)=大阪桐蔭=が、プロ最初のハードルを越えた。9日、千葉・鎌ケ谷のファイターズタウンで他の新人とともに約2時間の初練習。懸念された木製バットへの対応力を見せた。室内練習場でティー打撃を行い、見守った水上善雄2軍監督(50)からは早くも「落合、清原級」の評価を得た怪物。キャンプでプロ仕様の打撃を披露する日が楽しみだ。
熱い気持ちを感じさせる真っ赤なトレーニングウエアに身を包み、中田は昼前に勇翔寮から姿を見せた。グラウンドで軽いランニングとキャッチボールを終えると、室内練習場へ向かった。高校生3巡目の津田(倉敷)にトスを頼み、大阪桐蔭の先輩であるロッテ・西岡から譲り受けた黒の木製バットを手に、ティー打撃を56スイング。約10分間、乾いた破裂音を響かせた。
わずかの時間で、「これはものが違う」と舌を巻いたのは「落合を知る男」だった。視察に訪れた水上2軍監督だ。「バットと球がくっついてる時間が長い点が(落合らと)共通している」と説明。「振ってから球が出て行くさまがすごくいいな」と続け、大器の片りんを感じ取った。
水上2軍監督は現役時代、入団以来8年連続20本塁打以上の「ミスターロッテ」有藤通世(野球評論家)、球界唯一の3冠王3度を達成した落合博満(中日監督)をチームメートとして見てきた。敵としては86年に高卒新人の最多本塁打記録(31本)を作った西武・清原(オリックス)と戦った。大打者3人と比較して、中田の才能を絶賛した。
金属バットを使い続けてきた高卒新人が「プロの壁」として最初にぶつかるのが、木製バットへのチェンジ。中田も「金属は多少詰まってもスタンドに持っていけるけど、木は詰まったら詰まった分だけ飛ばない」と危機感を口にする。だが、飛距離がダウンする可能性について、水上2軍監督は「飛ぶようなスイングをしている。プロの配球に慣れて、あの通りに打てれば30本は打てると思う。体も相当なキレがあるしね」と不安を一蹴した。
絶賛の嵐を伝え聞いた中田は「自分はまだまだですけど、そう言ってもらえるのはありがたいこと。思ってもらえる以上の結果を残して、期待に応えたい」と力を込めた。商売道具の木製バットは、「いろいろなものを試して、1日も早く自分に合うのを見つけたい」と試行錯誤を繰り返しているというから、手に合うものが見つかった場合は、どこまで飛ばすか楽しみさえ感じさせる。
この日は、先輩たちの様子をながめながらの「始動」ならぬ「試動」だったが、「見てて自分自身の勉強にもなる。その意味では良い練習ができた」と満足げに振り返った。謙虚な新人に、プロの先輩たちが熱視線を送っていたことも事実。怪物の打棒が明らかになる日を、誰もが楽しみにしている。
◆水上 善雄(みずかみ・よしお)1957年8月9日、神奈川県生まれ。50歳。桐蔭学園から75年ドラフト3位でロッテ入団。79年、正遊撃手定着。端正な顔立ちと長髪で人気者に。79年から3年連続リーグ最多犠打。80年にダイヤモンドグラブ、87年はベストナインに輝く。90年に広島、91年にダイエーに移籍し、92年に引退。07年は日本ハムの2軍内野守備走塁コーチ。通算成績は1546試合で打率2割4分4厘、105本塁打、450打点。184センチ、80キロ。右投右打。
参照元:スポーツ報知
レッドソックスの松坂大輔投手(27)に恩師が“金言”を贈った。横浜高の渡辺元智監督(63)は9日、新人で15勝を挙げて世界一に貢献したかつての教え子に、「絶頂にいる時こそ、謙虚になることが大事」とアドバイスした。
順風満帆だからこそ心配だった。「高校で四十何連勝して西武で日本一。そして、米でいきなり世界一。強いものを持っている人間ほど落ちる時はガクンとくる。1歩下がって2歩進むくらいでいい」渡辺監督は現状に浮かれることなく、しっかりと足元を見詰めることが大切と説いた。さらに、恩師は「野球だけでなく、他の面でも立派なことができて初めて、超一流になれる」とも指摘した。松坂は今後も数日、母校で自主トレを行う予定で、愛情に満ちた助言を直接受ける機会が訪れそうだ。
参照元:スポーツ報知
今年の米野球殿堂入り選手が8日発表され、通算310セーブのリッチ・ゴセージ氏(56)が唯一選ばれた。全米野球記者協会在籍10年以上の記者投票で75%以上の得票(408票)が条件だったが、同氏は466票(約86%)を獲得した。90年ダイエー(現ソフトバンク)に在籍した同氏は、日本野球経験者として記者投票で殿堂入りした初の選手となった(元中日のL・ドビーは特別表彰委員会選出)。自宅で殿堂入りの知らせを聞いた元剛速球右腕は「長く待った分だけ、より特別な喜びがわいてきた」と、資格取得から9年目での栄誉に感慨深げだった。ダイナミックなフォームから投げ込む100マイル(約161キロ)近い速球と口ひげで、グース(ガチョウ)の愛称で親しまれた。通算セーブ数は歴代17位で、78年ヤンキースの世界一や84年パドレス初のリーグ優勝などに貢献。救援投手ではウィルヘルム、フィンガース、エカーズリー、スーターに次いで5人目の殿堂入りとなった。なお、記念式典は7月27日、ニューヨーク州クーパーズタウンにある野球殿堂で行われる。
◆リッチ・ゴセージ(Rich Gossage)1951年7月5日、米コロラド州生まれ。56歳。70年にドラフト9巡目指名でWソックス入り。72年にメジャーデビュー。75、78、80年に最多セーブ。オールスター戦に9度選出。右投右打。現役時代は190センチ、98キロ。
参照元:スポーツ報知
AP通信は9日、16日に米下院で予定されていた大リーグの薬物使用に関する公聴会が2月13日に延期されると報じた。証拠収集や司法省の調査を組織する時間を議員に与えることが延期の理由という。
公聴会には「ミッチェル・リポート」で薬物使用が報告されたロジャー・クレメンス投手のほか、同投手のトレーニングコーチで薬物を注射したと証言しているブライアン・マクナミー氏、ヤンキースのアンディ・ペティット投手、メッツの元球団職員で筋肉増強剤の提供を告白したカーク・ラドムスキー氏、ヤンキースなどで内野手として活躍したチャック・ノブロック氏の5人が召喚されている。
バド・セリグ・コミッショナーら球界首脳が証言する15日の公聴会は予定通り開かれる。
参照元:スポーツ報知
西武は8日、違法派遣問題に揺れるグッドウィル・グループ(GWG)との球場名、2軍チーム名の命名権契約を正式に解約した。9日から球場名を「グッドウィルドーム」から「西武ドーム」、2軍チーム名を「グッドウィル」から「埼玉西武ライオンズ」に変更すると発表した。
小林球団社長は「埼玉西武ライオンズとして新しいスタートを切ることもあって、本来の名前でリセットしたい」とし、今季は3年ぶりに他の企業名なしで運営する。昨年末の問題発覚後、数社が新スポンサーに名乗り出たが、「命名権の影響力の大きさを痛感し、慎重に検討したいということでお断りした」。来年以降については未定。
GWGとは昨年から5年25億円の契約を結んでいたが、違約金、看板や印刷物などの作り直しに伴う損害などについては「詳細は公表できない」としている。
参照元:スポーツ報知
西武の前田康介球団本部長は8日、和田一浩外野手(35)が、FAで中日に移籍したことに伴うプロテクト選手28人のリストが届いたことを明かした。
リストはこの日午前、郵送で届いたが、同本部長は「10日に渡辺監督と会うので相談したい」とした。人的補償の決定期限は2月3日だが「キャンプが始まるまでには結論を出したい」と話した。渡辺監督は人的補償を優先することを明言しており、手薄なリリーフ投手を中心に検討を進めることになりそうだ。
参照元:スポーツ報知
契約更改交渉が難航していた西武のG・G・佐藤外野手(29)が8日、年俸調停を申請する意思を表明した。この日の交渉も5分で決裂し、GGと球団が調停申請書にサイン。パ・リーグ事務局が受理すれば、7年ぶり7人目、西武では初の調停となる。
この日が6回目となる交渉を終えたGGは「調停に行きます」と、顔を紅潮させながら言い切った。球団は出来高をクリアしやすい条件にする歩み寄りは見せたが、提示額3500万円は変わらず。前回3800万円まで希望額を下げたが、調停では当初希望通りの4500万円を申請する。過去に選手の希望が通った例はないが、「額が変わらなくても、調停に行った方が納得できる」と説明した。
今季2割8分、25本塁打だったGGは、昨季1200万円からのベースアップにこだわった。球団側は、04年当時に年俸1000万円だった中島が2割8分7厘、27本塁打の数字を残して2400万円増でサインしたことを例に出して説得。だが、GGは「それ以上の活躍を見せた」と固辞、出来高での歩み寄りも「そういう問題ではない」と一蹴した。
球団初の事態に、小林信次球団社長は「選手の権利なので仕方がない」。今週中に球団から申請書を郵送するという。
◆年俸調停 野球協約94~96条に規定され、次年度の参稼報酬額に合意に達しなかった選手、球団は、所属連盟会長に参稼報酬調停を申請できる。参稼報酬調停委員会はコミッショナーと両連盟会長で構成。調停は30日以内で終結する。国内では過去6人が調停。球団提示額からアップした選手は93年高木(横浜)、01年下柳(日本ハム)の2人。選手の希望額で決着した例はない。
参照元:スポーツ報知
マー君がビッグな“初夢”を語った。楽天・田中将大投手(19)が8日、兵庫・伊丹での自主トレを公開。20歳を迎える今季、日本シリーズを制覇して堂々とビールかけをすることを目標に掲げた。この日は早くもブルペン入り。いきなり140キロ近い剛球を投げ込んだ右腕に2年目のジンクスはない。
鋭いボールに周囲が息をのんだ。じっくりと、力強いストレートを30球。背番号18にちなみ、1月8日に入った初ブルペン。肩の仕上がりは順調そのものだ。「自分でもビックリするぐらい、いい感じで投げられました」と納得の初投げだった。
高卒1年目に11勝を挙げて新人王。重圧がかかる2年目だが、目標はより高くなる。20歳の誕生日を迎える11月1日は日本シリーズの初戦。「誕生日に投げた記憶はないですね。ビールかけ? そうですね。シリーズまで行けば、できるんですね」と、シリーズ開幕投手でバースデー白星、さらに日本一のビールかけで飲酒解禁と、夢は大きく膨らんだ。
年明け4日から始動し、この日は午前9時から約4時間の練習。20日まで故郷で自主トレを行う右腕は、表彰や取材などで多忙だった昨年末の遅れをすっかり取り戻していた。「特に(昨年と)変えることはないし、けがなく1軍にいれば、それなりに(結果は)残ってくると思います」夢を正夢にしてみせる。マー君の自信は揺るがない。
参照元:スポーツ報知
ヤクルトの佐藤由規投手(18=仙台育英)、日本ハムの中田翔内野手(18=大阪桐蔭)、ロッテの唐川侑己投手(18=成田)の「高校ビッグ3が」が8日、そろって入寮した。佐藤は両親、兄、弟を伴って埼玉県戸田市の合宿所を訪れた。最後は号泣する家族と抱き合い「泣き虫王子」らしく涙の入寮となった。
込み上げてくるものを必死でこらえた。日が落ちた合宿所の前で、由規が車に乗り込む家族と向き合う。母・美也さん(48)がハンカチで涙をぬぐうと、感極まった兄・史規さん(21)は号泣しながら由規と熱い抱擁を交わした。見守った父・均さん(47)、弟・貴規さん(14)もほおをぬらす。もう、こらえることはできない。激励の言葉に応じる由規の目元も、確かに光っていた。
午前11時半に、家族そろって戸田市内の寮に到着。昼食、報道陣への対応を終えると、冷蔵庫、テレビなどを含む大量の荷物を部屋に運び込み、家族5人で約6畳の1室にこもった。荷物を整理しながら、約4時間の家族水入らず。到着から約6時間後に、離れがたい気持ちを振り切って臨んだ別れの儀式だった。「あれがウチのカラーというか、全員そろって佐藤家なんで」照れることなく家族への思いを語った。
プロでの一歩を踏み出す前に、思い切り泣いてきた。入寮前夜、家族そろってカラオケに出かけた。声を張り上げ寂しさを吹き飛ばした。最後に歌ったのはコブクロの「桜」。兄と共にマイクを握り、共に涙を流した。「昨日は泣きました。反射的にそうなっちゃう。でも今日はこらえました」この日は、家族から温かい言葉が詰まった寄せ書きを贈られても、涙は見せなかった。
10日に始まる新人合同自主トレから、本格的にプロでの生活が始まる。当分、涙は見せないつもりだ。「いずれは親元を離れていくわけで、自立して独り立ちしなきゃいけない。監督もおっしゃってましたが、勝って泣くというのは、自分でも決めてます」最愛の家族に見守られる「泣き虫王子」が、涙を振り払い、荒波が待つ厳しい世界に飛び込む。
参照元:スポーツ報知
ヤクルトの佐藤由規投手(18=仙台育英)、日本ハムの中田翔内野手(18=大阪桐蔭)、ロッテの唐川侑己投手(18=成田)の「高校ビッグ3が」が8日、そろって入寮した。早起きは大の苦手と告白した中田は、目覚まし時計を4個持参した。
午後2時5分。ファンから拍手喝采で迎えられ、中田は千葉・鎌ケ谷市にある合宿所「勇翔寮」に姿を見せた。意気揚々とプロの新たな一歩を踏み出したかに思われたが、同時に意外な弱点も打ち明けた。「僕は朝が苦手なんです。だから、目覚まし時計を4つほど持ってきました」怪物の思わぬカミングアウトに周囲からは笑いが漏れた。
大阪桐蔭の合宿所は3人部屋だったため、他の2人に起こしてもらうことで事なきを得たという。だが、甲子園出場の時は大阪市内の宿舎での1人部屋。「飯食った後に、二度寝しちゃうんですよ。後輩に『起こしに来てな』と頼んでも、そいつが忘れると、起きるのがバス出発5分前とか」決定的な遅刻はなくても、常にギリギリの戦いを強いられていたようだ。
同じく1人部屋の寮生活に向け、準備は整えてきた。4個の目覚まし時計のうち、1個はセイコー社製の「超激音」というラベル付きの大音量ベルアラーム。大学・社会人3巡目の宮西=関学大=も持ち込んだもので「僕が聞いた中で、一番(音が)大きいやつですよ」と得意げに笑った。
もっとも、朝に弱くても過去に結果は残してきた。バス出発10分前に起床したという2年時の06年8月6日・横浜高戦では甲子園のバックスクリーン左に140メートル弾を記録。本人は「ちゃんと自分1人で起きられるようにしたい」と誓ったが、あのヤンキース・松井も、寝坊で数々の逸話を残しながら、日本を代表するスラッガーへと成長していった。危なっかしさと隣り合わせなのも、決して悪い話ではない。
◆激励メール殺到「ちょびっと」涙 中田も感動の涙? この日、新大阪発の新幹線で上京した黄金ルーキー。出発の時は「見送りは誰一人として来なかった」と苦笑したが、携帯電話に激励のメールは殺到。「うれしかった。ホロっときた? ちょびちょびとありました」と神妙な表情を見せた。また、寮の部屋はダルビッシュの404号室を譲り受けられず、502号室となったが「自分のところを出世部屋に? そういうふうに言われたら気持ち良いと思う」と意気込んだ。
参照元:スポーツ報知
ヤンキース・松井秀喜外野手(33)が8日、帰省先の石川・能美市から帰京した。10日間の滞在では家族と温泉旅行に出かけたり、母校の星稜高を訪問するなどして過ごし、「ゆっくりできました」と心の充電は完了。心身ともにリフレッシュした松井秀は都内で早速、右ひざのリハビリを再開した。今後は10日以降にグラウンドでの本格的な練習をスタートし、手術した右ひざ検査もあり、2月上旬に渡米する予定だ。
参照元:スポーツ報知
桑田真澄投手(39)が8日、自身のホームページで昨年所属していたパイレーツと正式にマイナー契約を結んだことを、明らかにした。背番号と同じ1月8日の発表だった。
「ようやくパイレーツから契約書が届き、今日、慎重に、そして、感謝の気持ちを込めてサインしたよ」と書き込んだ。
桑田は昨年6月に、3Aインディアナポリスを経て日本人最年長でメジャーデビュー。しかし、3月のオープン戦で負傷した右足首じん帯断裂の影響もあり、19試合に登板し0勝1敗、防御率9・43。8月14日に戦力外通告を受けた。しかし、メジャー再挑戦を決意した桑田は9月に手術を行い、リハビリに励んだ結果、6日にブルペン投球をした。
昨年のキャンプは52番で迎えた背番号も、今季は招待選手ながらメジャー組と同じように18番が用意されている。再昇格し、昨年、果たせなかったメジャー初勝利を目指すことになる。
参照元:スポーツ報知