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中日、阪神でヘッドコーチなどを歴任し、今オフに阪神を退任した島野育夫さんが15日午後9時5分、胃がんのため兵庫・西宮市内の病院で死去した。63歳だった。葬儀、告別式は未定。島野さんは野球日本代表の星野仙一監督(60)が中日、阪神の監督時代、参謀役として仕え、数々の栄光をつかんできた。星野監督はこの日、長年ともに戦った戦友との別れに悲しみのコメントを寄せた。

 島野さんは、現役引退後は星野代表監督との名コンビでその名を知られ、88年にはヘッドコーチとして中日のリーグ優勝に貢献した。02年には指揮官を追うように「ここが最後の仕事場」と阪神に入団。03年のリーグ優勝時には、97年に亡くなった星野監督夫人・扶沙子さんの遺影を掲げた。96年から03年までつけていた背番号「78」は、星野監督の「77」の一歩後ろを行くという意味が込められている。星野監督勇退後の04年は管理部長の職に就いたが、05年に総合コーチとして現場復帰。06年には2軍監督に就任したが、同年4月に胃がんによる長期入院で現場を離れた。5月に手術し、胃を部分摘出。その後も入退院を繰り返し、療養中の9月、2軍がウエスタン・リーグで優勝するシーンをネット裏から観戦。ウイニングボールを手渡され「皆の頑張りで優勝できてうれしい」と目を潤ませていた。

 今年は総合特命コーチに就任。9月までは、しばしばグラウンドに姿を見せることもあった。今年11月4日には、神戸合宿を張っていた北京五輪アジア予選日本代表を激励に、スカイマークスタジアムを訪れ「(星野監督は)表情は最高やった。お土産に金メダルを持って帰る、と言っていた。元気をもらったよ」と話していたが、とうとう金メダルを目にすることがないままとなってしまった。今季、総合特命コーチを退任した島野さんは来季、フロント入りし、アドバイザリー的な役職に就く予定だった。

 ◆島野 育夫(しまの・いくお)1944年3月30日、栃木県生まれ。作新学院高から明電舎を経て、63年に中日入団。68年に南海に移籍。外野手として73年から3年連続ゴールデングラブ賞に輝く。76年、阪神に移籍。80年に引退するまで実働18年間で1466試合出場。通算成績は打率2割4分2厘、211打点、24本塁打。引退後は81年に阪神コーチ、86年から6年間、中日コーチ、92年から3年間、阪神コーチを務めた後、95年から再び中日コーチに。02年、星野監督誕生とともに阪神ヘッドコーチとなった。04年は管理部長を務めたが、05年に総合コーチで現場復帰。06年2軍監督、今季は総合特命コーチを務めた。

参照元:スポーツ報知

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