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プロ野球界の発展に大きく貢献した球界関係者に贈られる「正力松太郎賞」に13日、中日・落合博満監督(53)が選ばれた。初めての受賞で、副賞500万円などが贈られる。チームを53年ぶりの日本一に導いた点が評価されたが、都内のホテルでの会見では、この日未明にロッテ時代の恩師・稲尾和久氏が急逝したこともあり、複雑な表情を浮かべていた。
受賞の知らせは、悲報とともに舞い込んだ。「率直に言ってうれしい」受賞の言葉とは裏腹に、落合監督の胸中は複雑だった。1985年から2年連続3冠王を獲得するなど、ロッテで大活躍していた時代に指導を受けた稲尾元監督の死去。同賞の選考委員でもあった稲尾元監督を悼み、会議の冒頭、黙とうがささげられた。「変な日だね。今日は」ぽつりと漏らした一言に、すべての思いが込められていた。
壇上では笑顔だった。82年にプロ野球最年少での3冠王を獲得するなど、3度も3冠王を獲得したが、現役時代には正力賞の受賞はない。「一生、縁のないものかなと思いましたね」と感慨深げだった。今年の日本ハムとの日本シリーズ第5戦(ナゴヤドーム)で見せた、完全試合達成間近だった山井の9回の交代劇など、川上哲治選考委員長(87)が「強い信念」と評価した采配による受賞。「選手、スタッフにありがとうと言いたい」と感謝を込めた。
会見を終え、恩師のことを語るとき、表情が曇った。86年、4月終了時点で打率2割2分8厘と極度の不振に陥っていた自身を、稲尾監督は4番で使い続けた。シーズンが終わってみれば3冠王。「いろんな意見はあるだろう。でも、オレが監督なんだ」と食事の席で語った稲尾氏の言葉が、強く印象に残っているという。川上委員長がたたえた指揮官としての「強い信念」は稲尾監督から授かったのかもしれない。
今朝、訃(ふ)報を信子夫人から知らされた指揮官。最後に会った日を問われても「記憶をたどっていっても(覚えが)ないんですよ。それだけ急だった」と、一言一言を絞り出した。「野球界にとって大きな星を失ってしまった」淡々とした語り口の中に、無念さがにじみ出ていた。
◆正力松太郎賞 1934年、日本初のプロ野球チーム、大日本東京野球倶楽部(現巨人)を創設、日本のプロ野球の発展に大きな功績を残した故・正力松太郎氏(元読売新聞社主)を記念して、77年に制定された。その年の日本プロ野球界で最も貢献のあった競技者(監督、コーチ、選手、審判)に対して授与される。選考にはコミッショナーが委託する選考委員会があたる。賞金500万円。
参照元:スポーツ報知