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西鉄のエースとして通算276勝、シーズン最多の42勝を挙げ「鉄腕」の異名をとった稲尾和久(いなお・かずひさ)氏が13日午前1時21分、悪性腫ようのため、福岡市内の病院で死去した。70歳。大分県出身。葬儀・告別式の日時は未定。10月下旬、検査のために入院していたが、病状が急変した。

 稲尾氏は大分・別府緑丘高(現芸術緑丘高)から1956年に西鉄に入団し、いきなり21勝6敗の好成績で新人王を獲得。57年には20連勝のプロ野球タイ記録を達成。59年まで3年連続で30勝以上を挙げた。58年の巨人との日本シリーズでは3連敗後の4連投で4連勝。サヨナラ本塁打も放ち、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた。61年にはプロ野球タイ記録のシーズン42勝をマークした。

 69年に現役引退するまでの通算成績は756試合に登板し、276勝137敗、防御率1・98、2574奪三振。57、58年にはパ・リーグの最優秀選手に輝き、4度の最多勝、5度の最優秀防御率など数々のタイトルを獲得。引退後は西鉄、太平洋(ともに現西武)、ロッテで監督を務め、93年に野球殿堂入りした。

 長嶋茂雄元巨人監督「今朝のニュースで知り、突然のことで今は大変驚いています。サイちゃんとは(1958年の)日本シリーズでの対戦が思い出として深く残っています。第4戦からの投球は実に素晴らしかった。外側に切れていくスライダーは手が出なかったですよ。オフ、ヨーロッパ旅行にご一緒してからは特に仲良くさせていただきました。宿敵というより仲間のように付き合わせていただいた。今はただ残念で、ご冥福をお祈りします」

 ソフトバンク・王貞治監督「1963年の日本シリーズで対戦し、巨人は最終的には勝ったが、稲尾さんには2度やられた。頭脳的で、ピッチャーのお手本になる投球だった。日本の野球界を語るに当たって、稲尾さん抜きには語れない。遺志を受け継いで、九州の野球を盛り上げていきたい」

 川上哲治氏「びっくりしました。まだ若かったですから。まだまだ野球界のためにプラスになる働きができたはず。昔のことを思い出しますよ。日本シリーズでは一人にやられた。本当に残念」

 中西太氏「4、5日前に病院に入っているという話を聞いた。サイちゃん(稲尾氏の愛称)のことだから、元気になって出てくるだろうと思っていたが。寂しい限りです」

 広岡達朗氏「彼がいなかったら、西鉄ライオンズはなかったと言っていいくらい存在感があった。制球が抜群で、汚い投球は一切しなかった。正々堂々と勝負をしてきた。主人や会社のために命をささげる精神があった」

 西武・小林信次球団社長「今日のライオンズにとって、振り返ると、最も重要な一人だった。あれだけの投手はもう出ない。球団としてご冥福をお祈りしたい」


参照元:スポーツ報知

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