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スミスのバットが空を切った瞬間、猛ダッシュでベンチを飛び出した。パペルボンを中心とする輪の中に飛び込むと、松坂は何度も何度も跳びはねて顔をくしゃくしゃにした。2004年以来となる4連勝での世界一。背番号18は、1年目で頂点を極めた喜びをはじけさせた。
「大変なことも多かったが、最高の形で終わることができてよかった。負けそうで負けない、本当に強いチーム。こんなチームにいられて幸せです」4度目のシャンパンファイトの最中には、チャンピオントロフィーを手にした。「重いな…」とつぶやき、成し遂げたことの大きさを実感した。
最後まで、強さを感じさせる勝ち方だった。初回、エルズバリーの二塁打とオーティズの右前安打でわずか5球で先制。先発レスターは6回途中まで無失点と試合をつくった。終盤にも効果的に加点。最後は守護神が締めくくって逃げ切った。王手を掛けられたリーグ優勝決定シリーズ第5戦から7連勝と、勢いをつけてゴールテープを切った。
松坂にとっては、WBC以来となる世界一の栄冠だ。しかし、やはり短期決戦とは感慨が異なる。「道のりの長さが違いますから。もちろん、WBCの優勝が軽かったわけではないが、時間がかかった分だけ達成感は強い」1年間、故障せずにローテーションを守った自負もあるだけに、喜びの種類も違った。
怪物のルーキーイヤーは決して平坦(たん)な道のりではなかった。メジャー特有の習慣や言葉の壁に加え、滑るボールの影響もあって理想的な投球ができない時期もあった。しかし、日本流に走り込みの量を増やしたり、登板間のブルペンに入る日を変えたりと、試行錯誤を繰り返した。
1試合110球程度に球数が制限されるため、エンジンがかかってきたところで降板を指示されることもしばしばあった。もともと、試合終盤になるほど力を発揮するタイプ。不完全燃焼でマウンドを降りることもあったが、決して不満を漏らすことはなかった。
プレーオフに入って最初の2試合は期待に背く内容だった。しかし、リーグ優勝決定シリーズ第7戦、ワールドシリーズ第3戦の勝利で名誉ばん回。その活躍が認められ、日本人初先発初勝利を挙げた第3戦で履いたスパイクが殿堂入りすることも決まった。
試合後、松坂は「来年、2人目(の子供)が生まれます」と明かした。予定日は3月22日。偶然にも来季、東京ドームでアスレチックスとの開幕戦が行われるとされる日でもある。“凱旋先発”も予想され、自ら第2子誕生を祝うチャンスも訪れそうだ。
「1年間、最後まで野球をやりたいと思うし、それで最後勝者になれれば言うことはない。1回だけが目標じゃない。何回でもチャンピオンになりたい」怪物の2年目のシーズンは「連覇」が最大のテーマとなる。
◆ボストン・レッドソックス ア・リーグ創設の1901年に誕生。本拠地フェンウェイ・パークは大リーグ最古の1912年に完成。左翼が94.5メートルと狭く、高さ11.3メートルの通称「グリーンモンスター」がそびえる。1903年に行われた第1回ワールドシリーズで優勝するなど、18年までに5度、世界一に輝いたが、20年にベーブ・ルースをヤンキースへ放出して以降、頂点から遠ざかり、2004年に6度目の世界一になるまで86年もかかった。日本人選手では野茂英雄が01年、大家友和が99年から01年まで在籍していた。
参照元:スポーツ報知