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◆セ・リーグ クライマックスシリーズ第1ステージ第2戦 阪神7―3中日(19日・京セラドーム大阪) 師弟のきずなが、がけっ縁の阪神をよみがえらせた。初回、鳥谷が1号3ランを放つなど一挙4点を先制。6回にも2号ソロでダメを押し、負ければユニホームを脱ぐ岡田監督に逆王手となる白星を贈った。ポストシーズン白星なしの連敗を「7」で止めて1勝1敗とした岡田阪神が、最大13差を大逆転された宿敵・巨人への挑戦権を手にするか。20日の第3戦ですべてが決まる。
特別な力が確かに、白球を後押しした。念を送るかのような鳥谷の視線と、祈るような指揮官の視線が交錯したとき、打球は右翼スタンドへ着弾した。1点を先制してなおも1死一、二塁。敗れた瞬間に縦じまと別れを告げる岡田監督を、早大の後輩でまな弟子の鳥谷が生き延びさせた。ポストシーズンゲーム初打点となる劇的な1号3ラン。師弟のきずながドラマを呼んだ。
背番号1は感無量だった。「いい時も悪い時も使い続けてくれた。1試合でも多く試合をしたいし、きょうは負けられなかった」と、胸の内を一気に吐き出した。2003年のドラフト自由獲得枠で入団。ルーキーイヤーの04年、巨人との開幕戦。この男を「7番・遊撃」でスタメン起用したのが、星野前監督からバトンを受けた岡田監督だった。
プロの壁と、大きすぎる期待からくる重圧。成績を残せず戸惑う大型新人に、評論家らからは「なぜ使うのか」「(後輩への)身びいきでは」と岡田批判が飛んだ。しかし、虎の将は「将来の阪神を背負う男や」と意に介さず使い続けた。
プロ入り5年間の最高打率は、06年に残した2割8分9厘。今季も2割8分1厘、13本塁打、80打点にとどまった。しかし、物足りないかと問われた指揮官は即座に「アホか」と返した。「144試合、フルで出てくれる遊撃手なんかどこにおるんや。どれだけ心強いと思う?」と、逆に感謝の念でいっぱいだった。
この将がいてこそ、この日の鳥谷もいる。2点差に迫られた6回には、代わりばなの中田から右越えへダメ押し2号ソロ。負ければ敗退。しかも恩師の監督人生もかかった一戦で、大きな花をふたつ咲かせた。ポストシーズンゲームでの1試合2発は、球団史上4人目の快挙だ。岡田監督も教え子の成長した姿を眼に刻んだ。「きょう負けたら終わりやった。でも、みんなに強い気持ちがあるからこんな試合ができる」勝負は運命の第3戦へ。また、ユニホームを着られる喜びをかみ締めた。
参照元:スポーツ報知
特別な力が確かに、白球を後押しした。念を送るかのような鳥谷の視線と、祈るような指揮官の視線が交錯したとき、打球は右翼スタンドへ着弾した。1点を先制してなおも1死一、二塁。敗れた瞬間に縦じまと別れを告げる岡田監督を、早大の後輩でまな弟子の鳥谷が生き延びさせた。ポストシーズンゲーム初打点となる劇的な1号3ラン。師弟のきずながドラマを呼んだ。
背番号1は感無量だった。「いい時も悪い時も使い続けてくれた。1試合でも多く試合をしたいし、きょうは負けられなかった」と、胸の内を一気に吐き出した。2003年のドラフト自由獲得枠で入団。ルーキーイヤーの04年、巨人との開幕戦。この男を「7番・遊撃」でスタメン起用したのが、星野前監督からバトンを受けた岡田監督だった。
プロの壁と、大きすぎる期待からくる重圧。成績を残せず戸惑う大型新人に、評論家らからは「なぜ使うのか」「(後輩への)身びいきでは」と岡田批判が飛んだ。しかし、虎の将は「将来の阪神を背負う男や」と意に介さず使い続けた。
プロ入り5年間の最高打率は、06年に残した2割8分9厘。今季も2割8分1厘、13本塁打、80打点にとどまった。しかし、物足りないかと問われた指揮官は即座に「アホか」と返した。「144試合、フルで出てくれる遊撃手なんかどこにおるんや。どれだけ心強いと思う?」と、逆に感謝の念でいっぱいだった。
この将がいてこそ、この日の鳥谷もいる。2点差に迫られた6回には、代わりばなの中田から右越えへダメ押し2号ソロ。負ければ敗退。しかも恩師の監督人生もかかった一戦で、大きな花をふたつ咲かせた。ポストシーズンゲームでの1試合2発は、球団史上4人目の快挙だ。岡田監督も教え子の成長した姿を眼に刻んだ。「きょう負けたら終わりやった。でも、みんなに強い気持ちがあるからこんな試合ができる」勝負は運命の第3戦へ。また、ユニホームを着られる喜びをかみ締めた。
参照元:スポーツ報知
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