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◆第3回女子野球W杯 ▽決勝 日本11―3カナダ(29日、愛媛・松山) 「マドンナJAPAN」が、初の世界一に輝いた。日本は決勝でカナダを11―3で下し、1次ラウンドから6戦全勝で初優勝。「欽ちゃん球団」所属の片岡安祐美内野手(21)らナインは感涙。北京五輪で予想を上回る活躍をみせ感動を呼んだソフトボール、サッカーに続き、またまた日本女子チームが世界相手に快挙を達成した。会場の「坊っちゃんスタジアム」にちなんで命名された「マドンナJAPAN」が、メダルなしに終わった星野ジャパンの敵を討って、金メダルを獲得した。
誰もが泣いていた。歓喜の輪をつくり、指を立ててNO1のポーズを取るナインの横で、萩本欽一大会実行委員長(67)が得意のマイクパフォーマンス。「みんな…ありがとう…みんなのおかげだよ」1万人の大観衆に感謝の言葉を繰り返したが、涙で言葉が途切れた。欽ちゃんも感極まっていた。
決勝の大舞台でナインは硬くなっていた。3回には三塁・新井純子が先頭打者の平凡な飛球を落球。これがきっかけで1点を失った。致命的な落球から金メダルを失った星野ジャパンの悪夢が頭をよぎったが、「マドンナJAPAN」には、逆境をはね返す力があった。
1点リードされた4回1死二、三塁。2番・新井が逆転の2点適時二塁打。「何が何でも打ってやると思っていた」ミスを帳消しにする一打に、両手を突きあげ、渾身(こんしん)のガッツポーズ。ベンチの選手もグラウンドに飛び出し、喜びを爆発させた。この回打者8人、5安打の猛攻で4点を挙げ、試合をひっくり返し、5回には逆にカナダの三塁手と右翼手が立て続けに飛球を落球。ミスにつけ込み打者11人の猛攻で7点を奪い、勝負を決めた。
北京五輪で金メダルに輝いたソフトボール、五輪で初の4強入りを果たしたサッカーの「なでしこJAPAN」など、女子の活躍が目立った勢いを背に「マドンナJAPAN」も、2大会続けて決勝で敗れていた米国を撃破した。1次ラウンドから6戦全勝。うち5試合で2ケタ得点をマークする圧倒的な強さで金メダルを獲得。メダルなしに終わった星野ジャパンの敵を討った。
強さの秘訣はチームワークだ。大倉孝一監督も「特別なことはしていません。2年間みんなでやってきた成果です」と団結力の強さを強調。過去2大会は、直前合宿のみだったが、今年は5月に岡山で、7月には川越と開催地・松山で合宿。大会前にも松山で直前合宿を行い、連帯感を高めた。レベルアップしたチームでは茨城ゴールデンゴールズ・片岡安祐美でも簡単には先発出場できなかった。防御率0・00でMVPに輝いた野口霞は「毎日、砂浜を3キロ走ってますから」と自信を見せた。
閉会式には、直前まで代表候補入りしていながら、18人の登録メンバーから漏れた7選手に、大倉監督手作りの、金色の粘土でできた“金メダル”が授与された。思わぬ演出にベンチ入りの選手も涙。改めて絆(きづな)の深さを見せつけた。
大倉監督は「今までで一番強いチームだった。これをきっかけに、競技人口が増えてくれれば」と女子野球の発展を願った。ついに世界の頂点に立ったマドンナJAPANが、新たな歴史を刻んでいく。
◆女子野球の現状 1980年代から女子野球熱が高まり出し、97年に神村学園高などを中心に全国高等学校女子硬式野球連盟を結成。「全国高等学校女子硬式野球選手権」(兵庫・丹波市)が開催されている。02年からは関東地区の中学、高校、大学、専門学校、クラブチームが参加して硬式野球大会「ヴィーナスリーグ」が春秋に行われ、06年からは巨人が後援している。国際大会は01年に国際女子野球協会が発足し、「女子野球世界大会」で日本は03、04年と2連覇。04年からは2年に1度、国際野球連盟(IBAF)が主催する「女子野球W杯」が開催されて、04、06年とも米国が連覇。日本はともに銀メダルに終わった。
参照元:スポーツ報知
誰もが泣いていた。歓喜の輪をつくり、指を立ててNO1のポーズを取るナインの横で、萩本欽一大会実行委員長(67)が得意のマイクパフォーマンス。「みんな…ありがとう…みんなのおかげだよ」1万人の大観衆に感謝の言葉を繰り返したが、涙で言葉が途切れた。欽ちゃんも感極まっていた。
決勝の大舞台でナインは硬くなっていた。3回には三塁・新井純子が先頭打者の平凡な飛球を落球。これがきっかけで1点を失った。致命的な落球から金メダルを失った星野ジャパンの悪夢が頭をよぎったが、「マドンナJAPAN」には、逆境をはね返す力があった。
1点リードされた4回1死二、三塁。2番・新井が逆転の2点適時二塁打。「何が何でも打ってやると思っていた」ミスを帳消しにする一打に、両手を突きあげ、渾身(こんしん)のガッツポーズ。ベンチの選手もグラウンドに飛び出し、喜びを爆発させた。この回打者8人、5安打の猛攻で4点を挙げ、試合をひっくり返し、5回には逆にカナダの三塁手と右翼手が立て続けに飛球を落球。ミスにつけ込み打者11人の猛攻で7点を奪い、勝負を決めた。
北京五輪で金メダルに輝いたソフトボール、五輪で初の4強入りを果たしたサッカーの「なでしこJAPAN」など、女子の活躍が目立った勢いを背に「マドンナJAPAN」も、2大会続けて決勝で敗れていた米国を撃破した。1次ラウンドから6戦全勝。うち5試合で2ケタ得点をマークする圧倒的な強さで金メダルを獲得。メダルなしに終わった星野ジャパンの敵を討った。
強さの秘訣はチームワークだ。大倉孝一監督も「特別なことはしていません。2年間みんなでやってきた成果です」と団結力の強さを強調。過去2大会は、直前合宿のみだったが、今年は5月に岡山で、7月には川越と開催地・松山で合宿。大会前にも松山で直前合宿を行い、連帯感を高めた。レベルアップしたチームでは茨城ゴールデンゴールズ・片岡安祐美でも簡単には先発出場できなかった。防御率0・00でMVPに輝いた野口霞は「毎日、砂浜を3キロ走ってますから」と自信を見せた。
閉会式には、直前まで代表候補入りしていながら、18人の登録メンバーから漏れた7選手に、大倉監督手作りの、金色の粘土でできた“金メダル”が授与された。思わぬ演出にベンチ入りの選手も涙。改めて絆(きづな)の深さを見せつけた。
大倉監督は「今までで一番強いチームだった。これをきっかけに、競技人口が増えてくれれば」と女子野球の発展を願った。ついに世界の頂点に立ったマドンナJAPANが、新たな歴史を刻んでいく。
◆女子野球の現状 1980年代から女子野球熱が高まり出し、97年に神村学園高などを中心に全国高等学校女子硬式野球連盟を結成。「全国高等学校女子硬式野球選手権」(兵庫・丹波市)が開催されている。02年からは関東地区の中学、高校、大学、専門学校、クラブチームが参加して硬式野球大会「ヴィーナスリーグ」が春秋に行われ、06年からは巨人が後援している。国際大会は01年に国際女子野球協会が発足し、「女子野球世界大会」で日本は03、04年と2連覇。04年からは2年に1度、国際野球連盟(IBAF)が主催する「女子野球W杯」が開催されて、04、06年とも米国が連覇。日本はともに銀メダルに終わった。
参照元:スポーツ報知
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