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春夏通算10度の甲子園出場を誇り、1976年夏には全国制覇を果たした高校野球の名門・桜美林(西東京)で23日、推薦入試の合格発表が行われ、パイレーツ・桑田真澄投手(39)の長男・真樹外野手(15)が合格した。シュアな打撃が持ち味の巧打者は、戦後最多となる甲子園通算20勝を挙げた父に続き、夢舞台への出場を目標に掲げた。PL学園で2度の日本一に輝いた父に追い付き、史上初の親子甲子園Vを目指す。
都心が未明から銀世界となったこの日、ひと足先にサクラが咲いた。東京・町田市の桜美林高キャンパス。「合格しました」真樹君は合格通知を受け取ると、豪州・ケアンズで自主トレ中の父にメールを打った。「新しいスタートだと思います。今までと違う感じで、自分が生まれ変わるようにスタートしたい」父より5センチ高い179センチの15歳は、引き締まった表情で、高校生活への抱負を語った。
野手で勝負する。小学4年から野球を始め、中学では父が会長を務めるボーイズリーグ「麻生ジャイアンツ」で中堅手、遊撃手として活躍。昨夏はボーイズの関東選抜メンバーにもなった。「ピッチャーは父と違って、向いていないんで。ノーコンですから」と自己分析。希望ポジションも「空いてたらそこをやりたい」と無欲で挑戦する覚悟だ。
同じように、長男がチームに在籍することから、中学時代の真樹君を見守ってきた巨人・大森スカウトは、「打順なら1、3番の巧打者タイプ」と印象を口にする。「大砲と言うより、シュアな打者。打球も飛ばすし、足もあります。この3年間で打撃技術とパンチがついて、スイングがシャープになった」50メートル走は6秒6。まだまだ発展途上だけに、今後の成長が楽しみだという。
夢はもちろん、甲子園だ。桜美林の甲子園出場は02年夏が最後だが、一昨年秋の東京大会準優勝など、最近でもあと一歩のところまで勝ち上がっている。「お父さんほど多く(5回)は出られないと思いますが、1回は出たい」くしくも76年、夏の甲子園初出場初優勝の“桜美林旋風”を巻き起こした際、決勝を争った相手は父の母校・PL学園だった。真樹君は周囲からPL学園への進学も勧められたが、自分の足でグラウンドを訪れ、雰囲気や設備面、通学環境などから桜美林受験を決断。“宿敵”に進学するのも何かの因縁だろう。
未来は無限に広がる。親子2代にわたっての甲子園出場、そして史上初の親子全国制覇。3年後には進学を希望しているが、仮にドラフト指名されれば、日本初の親子現役プロ野球選手が誕生するかもしれない。セールスポイントについては「努力するところだけ」と謙虚に語った真樹君。夢舞台を目指して、一球一打に青春を燃やす。
◆桑田 真樹(くわた・まさき)1992年8月10日、東京都生まれ。15歳。金程小4年から二塁手として軟式野球を始め、同5年からは「たまプラーザスネークス」で硬式野球をプレー。金程中ではボーイズリーグ「麻生ジャイアンツ」で外野手、遊撃手として活躍し、2年夏は全国大会16強。好きな選手は福留孝介(カブス)。家族は両親と弟。179センチ、70キロ。右投左打。
◆桜美林の初出場初優勝 片桐幸宏主将(現・桜美林監督)率いる初出場の西東京代表・桜美林は、初戦(2回戦)で日大山形(山形)に4―0と完封勝ちして勢いに乗ると、市神港(兵庫)、銚子商(千葉)、星稜(石川)を立て続けに撃破。PL学園(大阪)との決勝戦でも、延長11回サヨナラ勝ち。エース・松本吉啓(現・千葉経大付監督)が一人で投げ抜き、快挙を成し遂げた。
◆PL学園時代の桑田 清原和博(現オリックス)との「KKコンビ」で、1年夏から甲子園に5季連続出場。1年夏にいきなり全国制覇の鮮烈デビューを果たすと、3年夏も優勝。2度の準V(2年春夏)を含め、戦後最多の通算20勝(3敗)を挙げた。甲子園通算6本塁打は清原の13本に次ぐ史上2位と、バットでも活躍した。
◆続けてくれてうれしい
桑田は自主トレ先の豪州・ケアンズで吉報を聞いた。幼いころからキャッチボールやノックをし、最も身近に成長を見守ってきた。かつて活躍した甲子園を愛息が目指すことに「僕がこれまで甲子園で実績を残している中で、その息子としてプレッシャーがかかるのに高校でも野球を続けてくれることがうれしい。僕がその立場なら、できないかもしれない」と父親として胸中を語った。
参照元:スポーツ報知