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怪物が「ダブル世界一」へスタートを切った。レッドソックスの松坂大輔投手(28)が9日、埼玉・所沢市の西武第二球場で本格的に始動。同じく3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表候補で横浜高の後輩、西武・涌井秀章投手(22)とともに汗を流した。WBCに備え、例年より早いペースで体作りを進めており、1月中に数回ブルペン入りし、宮崎・南郷で行われる西武キャンプの初日を実戦も可能な状態で迎える考えを示した。
今にも雪に変わりそうな冷たい雨が降る中、松坂が古巣で本格始動した。予定にはなかったが、この日は涌井の自主トレ公開日だったため、思わぬ形で後輩との合同トレが実現。人前での練習を嫌う右腕は、多数詰めかけた報道陣を見て当初のメニューを変更。ランニング、キャッチボール、ウエートトレと約2時間、軽めに汗を流した。
「ワク(涌井)とは偶然。来るタイミングを間違えたと思った」苦笑いを浮かべたが、今年にかける思いを示すように動きは軽やかだった。年末年始も適度な休養を入れながらトレーニングを実施。“初投げ”となった塁間のキャッチボールでも、この時期とは思えないほど力のこもった球を披露した。
チームの世界一の前に、まずはWBC連覇。その命題を担うエースは1月中にブルペン入りする考えを明かした。「キャンプインまでに2、3回できれば。(キャンプでは)無理にならない程度のギリギリのところで投げ込みをしていって、3月の試合に間に合わせたい」例年より大幅に調整ペースを繰り上げ、来るべき戦いに備える。
早めに肩を仕上げるのには前回06年大会の反省がある。1月中、ブルペンにほとんど入らなかったことで、本調子になるまで時間を要した。「米国ラウンド(2次リーグ)の時は焦っていた。これなら大丈夫というレベルに来るのが遅かった」当時の教訓を生かして調整プランを前倒しする。
帰国前のボストンでも約80メートルの遠投を継続。例年より体を緩めることは控えた。「キャンプに入った時はいつでも投げられる状態にしておきたい」と初日を万全な状態で迎え、早期のフリー打撃登板で実戦感覚を取り戻していく。
年が明け、イチローに年始のあいさつを兼ねて電話を入れた。イチローが今年の目標に「胸キュンな1年にしたい」と掲げたのを受けて「ときめくような事が多く起これば。起こしたい」と答えた日本のエース。09年。背番号18が、日本の、世界のファンをときめかせる。
◆松坂の初ブルペン入り 西武に入団した99年以降、4年連続でキャンプ第1クールの2月3日までに初ブルペン入り。プロの水に慣れた03~05年は、第2クールの同7日までに初投げを遅らせた。第1回WBCを控えた06年は、同1日にブルペン入りを早め、プロ入り後初めて捕手を座らせて投げ込みを行った。渡米後は、松坂が投球数に神経質なメジャー流より、投げ込みで肩を作る調整法を好むこともあって、07年は1月30日、08年は同27日と、自主トレ中に初ブルペン入りした。
◆松坂の名言
「リベンジします」(99年4月21日、ロッテ・黒木と投げ合い、2失点で敗れて。27日のロッテ戦、再び投げ合い、プロ初完封を挙げた)
「自信から確信に変わりました」(99年5月16日のオリックス戦。イチローとの初対戦で3連続三振を奪い)
「キューバはストレートに強い。そう言われれば言われるほど、ストレートで勝負したくなりました」(06年3月20日、第1回WBC決勝のキューバ戦で先発。4回1失点で、初優勝に導く)
「敵地でブーイングを受けるようになりたい」(06年11月、レッドソックス入りが決定。宿命のライバル・ヤンキース戦に向け)
参照元:スポーツ報知
今にも雪に変わりそうな冷たい雨が降る中、松坂が古巣で本格始動した。予定にはなかったが、この日は涌井の自主トレ公開日だったため、思わぬ形で後輩との合同トレが実現。人前での練習を嫌う右腕は、多数詰めかけた報道陣を見て当初のメニューを変更。ランニング、キャッチボール、ウエートトレと約2時間、軽めに汗を流した。
「ワク(涌井)とは偶然。来るタイミングを間違えたと思った」苦笑いを浮かべたが、今年にかける思いを示すように動きは軽やかだった。年末年始も適度な休養を入れながらトレーニングを実施。“初投げ”となった塁間のキャッチボールでも、この時期とは思えないほど力のこもった球を披露した。
チームの世界一の前に、まずはWBC連覇。その命題を担うエースは1月中にブルペン入りする考えを明かした。「キャンプインまでに2、3回できれば。(キャンプでは)無理にならない程度のギリギリのところで投げ込みをしていって、3月の試合に間に合わせたい」例年より大幅に調整ペースを繰り上げ、来るべき戦いに備える。
早めに肩を仕上げるのには前回06年大会の反省がある。1月中、ブルペンにほとんど入らなかったことで、本調子になるまで時間を要した。「米国ラウンド(2次リーグ)の時は焦っていた。これなら大丈夫というレベルに来るのが遅かった」当時の教訓を生かして調整プランを前倒しする。
帰国前のボストンでも約80メートルの遠投を継続。例年より体を緩めることは控えた。「キャンプに入った時はいつでも投げられる状態にしておきたい」と初日を万全な状態で迎え、早期のフリー打撃登板で実戦感覚を取り戻していく。
年が明け、イチローに年始のあいさつを兼ねて電話を入れた。イチローが今年の目標に「胸キュンな1年にしたい」と掲げたのを受けて「ときめくような事が多く起これば。起こしたい」と答えた日本のエース。09年。背番号18が、日本の、世界のファンをときめかせる。
◆松坂の初ブルペン入り 西武に入団した99年以降、4年連続でキャンプ第1クールの2月3日までに初ブルペン入り。プロの水に慣れた03~05年は、第2クールの同7日までに初投げを遅らせた。第1回WBCを控えた06年は、同1日にブルペン入りを早め、プロ入り後初めて捕手を座らせて投げ込みを行った。渡米後は、松坂が投球数に神経質なメジャー流より、投げ込みで肩を作る調整法を好むこともあって、07年は1月30日、08年は同27日と、自主トレ中に初ブルペン入りした。
◆松坂の名言
「リベンジします」(99年4月21日、ロッテ・黒木と投げ合い、2失点で敗れて。27日のロッテ戦、再び投げ合い、プロ初完封を挙げた)
「自信から確信に変わりました」(99年5月16日のオリックス戦。イチローとの初対戦で3連続三振を奪い)
「キューバはストレートに強い。そう言われれば言われるほど、ストレートで勝負したくなりました」(06年3月20日、第1回WBC決勝のキューバ戦で先発。4回1失点で、初優勝に導く)
「敵地でブーイングを受けるようになりたい」(06年11月、レッドソックス入りが決定。宿命のライバル・ヤンキース戦に向け)
参照元:スポーツ報知
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