野球の最新ニュースをあなたにお届けします。
スポンサードリンク
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
中日からフリーエージェント(FA)宣言した中村紀洋内野手(35)が29日、ナゴヤドームでのファン感謝デー後、楽天入りを正式表明した。近鉄、米大リーグ・ドジャース、オリックスを経て、5球団目となる和製大砲は、中日との日本シリーズでの対戦を熱望。25日の第1回交渉で2年総額3億円の提示を受けており、12月5日に仙台市内で入団発表に臨む。
心なしか目が潤んでいた。「残りわずかな野球人生でもう一度、挑戦する意味で楽天にお世話になると決めました。この2年間、本当に感謝しています」オリックスを自由契約となった後、中日に拾われたのが昨年2月。様々な思いが交錯し、涙となってあふれ出た。
この日午前、楽天側には連絡を入れた。球場到着後、監督室のドアをたたいた。落合監督は「言わなくても分かっている。卒業証書を渡せるな」と笑顔で迎えてくれた。「監督には最後に温かい言葉を頂いた」と感激した表情で振り返った。
来季は森野の三塁コンバートが決まり、構想から外れかけていた。中日の単年7000万円の条件に対し、楽天のオファーは2年総額3億円、三塁の定位置も確約。「球団(中日)には骨をうずめたいと言ったけど、1年で勝負してくれと言われた」通算2000安打にあと361本と迫っていることもあり、新天地を求めた。
「野村監督から、クライマックスシリーズに出るためにはお前の力が必要と言われた。若い選手に自分の持ってるものを伝えられたら。日本シリーズで中日と対戦したいですね」1年後に名古屋に凱旋することが最大の目標となる。
ファン感謝デーでは、マスターズリーグの名古屋80デイザーズとの試合で華麗なグラブさばきを見せつけた。「FA選手だからといって球団行事に出ないのは嫌だった。自分の心の中でファンにお別れがしたかった」と寂しさを漂わせたノリ。代名詞となった背番号99の中日ユニホームに別れを告げた。
◆中村紀の過去の移籍
▼移籍? 残留? 2002年オフ「中村紀洋というブランドを近鉄で終わらせていいのか」と近鉄からFA宣言。巨人、阪神、メジャー球団による争奪戦で、2年総額700万ドル(当時約8億4000万円)でメッツ入りを決意したが、正式発表前にMLB公式HPで報じられ激怒。一転、残留を表明し、近鉄と4年総額20億円で契約。
▼ポスティング移籍へ 04年オフにメジャー挑戦を表明。翌年1月にポスティング申請し、入札したドジャースと2月にマイナー契約。4月にメジャー昇格も、17試合出場で39打数5安打(打率・128)、0本塁打、3打点。3Aでは101試合で22本塁打をマーク。
▼ 浪人を経てテスト入団 06年オフ、オリックスから6割減となる年俸8000万円の提示を受け、契約交渉が難航。翌年1月に6度目の交渉が決裂し、自由契約となり浪人生活へ。2月に中日の入団テストを受け、育成選手で再スタート。開幕前に年俸600万円、背番号99で契約。同年の日本シリーズでチームを53年ぶりの日本一に導き、MVP受賞。
参照元:スポーツ報知
心なしか目が潤んでいた。「残りわずかな野球人生でもう一度、挑戦する意味で楽天にお世話になると決めました。この2年間、本当に感謝しています」オリックスを自由契約となった後、中日に拾われたのが昨年2月。様々な思いが交錯し、涙となってあふれ出た。
この日午前、楽天側には連絡を入れた。球場到着後、監督室のドアをたたいた。落合監督は「言わなくても分かっている。卒業証書を渡せるな」と笑顔で迎えてくれた。「監督には最後に温かい言葉を頂いた」と感激した表情で振り返った。
来季は森野の三塁コンバートが決まり、構想から外れかけていた。中日の単年7000万円の条件に対し、楽天のオファーは2年総額3億円、三塁の定位置も確約。「球団(中日)には骨をうずめたいと言ったけど、1年で勝負してくれと言われた」通算2000安打にあと361本と迫っていることもあり、新天地を求めた。
「野村監督から、クライマックスシリーズに出るためにはお前の力が必要と言われた。若い選手に自分の持ってるものを伝えられたら。日本シリーズで中日と対戦したいですね」1年後に名古屋に凱旋することが最大の目標となる。
ファン感謝デーでは、マスターズリーグの名古屋80デイザーズとの試合で華麗なグラブさばきを見せつけた。「FA選手だからといって球団行事に出ないのは嫌だった。自分の心の中でファンにお別れがしたかった」と寂しさを漂わせたノリ。代名詞となった背番号99の中日ユニホームに別れを告げた。
◆中村紀の過去の移籍
▼移籍? 残留? 2002年オフ「中村紀洋というブランドを近鉄で終わらせていいのか」と近鉄からFA宣言。巨人、阪神、メジャー球団による争奪戦で、2年総額700万ドル(当時約8億4000万円)でメッツ入りを決意したが、正式発表前にMLB公式HPで報じられ激怒。一転、残留を表明し、近鉄と4年総額20億円で契約。
▼ポスティング移籍へ 04年オフにメジャー挑戦を表明。翌年1月にポスティング申請し、入札したドジャースと2月にマイナー契約。4月にメジャー昇格も、17試合出場で39打数5安打(打率・128)、0本塁打、3打点。3Aでは101試合で22本塁打をマーク。
▼ 浪人を経てテスト入団 06年オフ、オリックスから6割減となる年俸8000万円の提示を受け、契約交渉が難航。翌年1月に6度目の交渉が決裂し、自由契約となり浪人生活へ。2月に中日の入団テストを受け、育成選手で再スタート。開幕前に年俸600万円、背番号99で契約。同年の日本シリーズでチームを53年ぶりの日本一に導き、MVP受賞。
参照元:スポーツ報知
PR
この記事にコメントする