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◆報知新聞社後援 第57回全日本大学野球選手権第1日 ▽1回戦 中部大4x―3龍谷大=延長10回=(10日・東京ドーム) 全国26代表による熱戦がこの日、開幕。中部大(愛知大学)は今秋ドラフト候補左腕・金丸将也が3回途中から登板し、7回1/3を無安打無失点の快投。05年まで巨人の2軍キャンプ地だった宮崎・清武町出身のサウスポーの活躍で、チームは延長10回、龍谷大(関西六大学)にサヨナラ勝ちし、初出場初白星。初出場の金沢星稜大(北陸大学)も佛教大(京滋大学)との死闘を制し、初勝利を挙げた。
夢の東京ドームで勝った。金丸はベンチを飛び出すと天井を見上げ、雄たけびを上げた。延長10回裏、1死満塁のチャンス。寺村圭剛の振り抜いた打球がセンター前に転がる。サヨナラだ。「チーム一丸で勝てたのがうれしい」3回途中からリリーフし、7回1/3を無安打無四球の快投。流れを呼び込んだ左腕は、歓喜の輪の中で我を忘れた。
出番は突然回ってきた。先発・小笠原広紀が3回に2点を失い、なおも2死一、三塁のピンチ。「ブルペンで5、6球しか投げてなかったけど、思い切り腕を振ろうと思った」緊急登板も後続を3球三振に斬り、波に乗った。この日最速は143キロ。185センチの長身から繰り出す角度あるボールに、敵は凡打の山を築くしかない。8回に三塁失策で出塁を許したが、出した走者はこれだけ。準完全の力投だった。
ビッグエッグのマウンドに立つ―ガキのころからの夢だった。金丸は巨人の2軍キャンプ地だった宮崎・清武町の出身だ。2月の楽しみは巨人の練習を見ること。桑田真澄にサインをねだった。高校時代、試験休みにはブルペンにくぎ付けになった。「当時新人だった野間口さんを見て、直球の指のかかりを研究しました。ドームのマウンドは高く、角度がついて有利に投げられた」みなぎる気迫を白球に込めた。
ネット裏では各球団のスカウトがビデオを回し、将来性を見極めた。巨人・大西スカウトは「チェンジアップが一番の武器。左打者にも投げられる投手はあまりいない」と好評価した。「一つ一つ勝ち進んでいきたい」宮崎産の長身左腕が、闘魂込めて大空へ羽ばたく。
◆金丸 将也(かねまる・まさや)1987年3月19日、宮崎県清武町生まれ。21歳。清武小4年から清武ヤンキースで軟式野球を始め、清武中でも野球部。佐土原では3年夏の甲子園に出場し、2回戦進出に貢献。中部大で1年春からベンチ入り。今春リーグ戦では5試合に登板、2勝0敗、防御率2・00。185センチ、75キロ、左投左打。家族は両親と弟。
参照元:スポーツ報知