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◆巨人3―2オリックス(3日・宇部) 原巨人が若手投手陣の踏ん張りでオープン戦初白星を飾った。先発した4年目・東野(とうの)が3回を無失点に抑えると、続く栂野(とがの)、越智もそれぞれ3回1失点とまずまずの内容だった。原監督は「3人とも次に期待が持てる」と評価。中継ぎ右腕としての開幕1軍入りへアピールした。開幕先発ローテーションとともに、中継ぎの争いも激化。指揮官が「第2次キャンプ」と位置づけたオープン戦で、サバイバルの波はさらに大きくなっていく。
恐怖などなかった。東野は迷わずグラブを出した。2回。古木の痛烈なライナーと、折れたバットが足元を襲う。打球をつかんだ直後、バットが左足を直撃。それでもボールを離さなかった。「1人も走者を出したくない。僕は結果を残すしかないので」頭には“サバイバル”を勝ち抜くことしかなかった。
プロ4年目の若武者がアピールした。自身、オープン戦初登板は、イースタン・リーグでも未経験の先発マウンドだった。「頭を使った投球を心掛けた」球威のある直球で強気に内角を突き、外の変化球で仕留める―ホームベースを存分に使った投球を披露。同じ腕の振りで直球、変化球を投げられるようにキャンプ中、調整したフォームも奏功し、3回を無安打無失点(1死球)に抑えた。「ストライクを先行させて、有利な立場で投球ができた」と汗をぬぐった。
21歳の先発の好投で火がつき、続く2投手も勢いのある投球を見せた。まずは栂野だ。登板した4回に2安打と自らのけん制悪送球などで1点を失ったが、続く2イニングを3人ずつで片づけるなど試合中、きっちりと修正。「自分のできることをしっかりやりたい」と意気込んだ。7回から登板した越智も、落差のあるフォークで2三振を奪うなど、3回を1失点。「まずは東野、栂野に負けないようにしたい」とライバル心をあらわにした。
3投手合わせて、9イニングで無四球。原監督も「四球が出なかったのは非常にいい。特に東野が良かった。(3人とも)次に期待の持てる投球」とそれぞれをたたえた。
若き3投手の好投で、右の中継ぎ争いは激烈を極めている。8回の豊田、9回のクルーンは“当確”だが、そこにつなぐ「方程式」の一角を巡り、会田、吉武、西村、久保、福田に東野、栂野、越智が加わり、しのぎを削っている。香田投手コーチは「チームのため、ほかの若いやつらにとっても、いい意味で競争意識が出てくるはず」と、底上げによるサバイバル激化を歓迎。尾花投手総合コーチも「みんな着実に力をつけている。チャンスはあげないとね」と、思わず笑みをこぼした。
宮崎キャンプ中の紅白戦、練習試合と合わせ、この日で4試合9イニング無失点を続けている東野。「ずっとゼロ行進できるように」と無失点継続を誓った。サバイバル開戦のゴングは打ち鳴らされた。あとは、開幕1軍を目指して投げ続けるだけだ。
巨人・原監督「投手は3人ともよかった。四球が一つも出なかったしね。特に東野。変化球の制球力があれば、持ち味の真っすぐが生きてくる。3人とも次に期待の持てるピッチングだった。攻撃も守備も、若手が頑張った。スキのない、しまったゲームになった」
◆東野 峻(とうの・しゅん)1986年7月11日、茨城県生まれ。21歳。鉾田一高から2004年のドラフト7巡目で入団。プロ入り後は右肩痛に悩まされたが、昨季はファームで主に中継ぎとして27試合に登板。1敗1セーブ、防御率1・74と結果を残し、初の1軍昇格も果たした。186センチ、85キロ。右投右打。独身。
◆栂野 雅史(とがの・まさふみ)1984年10月19日、東京都生まれ。23歳。桐蔭学園高から新日本石油ENEOSを経て、2005年の大学・社会人ドラフト3巡目で指名され入団。昨秋キャンプで投球フォームを改良して急成長した。186センチ、92キロ。右投右打。独身。
◆越智 大祐(おち・だいすけ)1983年6月30日、愛媛県生まれ。24歳。新田高から早大を経て、2005年の大学・社会人ドラフト4巡目で指名され入団。06年はプロ選手として練習しながら、早大にも通って同年に卒業を果たした。184センチ、85キロ。右投右打。独身。
参照元:スポーツ報知