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◆ヤクルト10―2巨人(30日・神宮) 巨人が、50年ぶりの屈辱を喫した。5回に李承ヨプの適時二塁打で追いついたが、中継ぎ陣が崩壊。6回には2番手・吉武、7回には西村健、越智がつかまり、2―10で大敗した。ヤクルトに開幕3連敗したのは、国鉄時代の1958年以来。自慢の強力打線も毎回の11安打をしながら、タイムリー欠乏症のままだ。4月1日からはライバル・中日と3連戦。「東京ドームから切り替えて戦います」という原監督の言葉を信じたい。
イニングと投手陣は違っても、負け方は前夜のVTRを見ているようだった。同点から巨人中継ぎ陣が、音を立てて崩れた。「見ての通りですね。考えないといけません」試合後、原監督は中継ぎ陣のテコ入れを示唆した。尾花投手総合コーチも、同じセリフを口にした。崩壊―そんな2文字しか当てはまらない散々の内容だった。
2点差を追いついた直後の6回、指揮官が「順番からいえば、一番格が上のピッチャー」と送り出した2番手の吉武が、踏ん張れなかった。29日の試合でピンチを切り抜けた右腕は、押し出し四球と適時打、6打者に対し3安打2四球でワンアウトを取っただけでマウンドを降りた。7回には西村健が2死から適時打を浴び、越智が福川にグランドスラムを食らってジ・エンド。2イニングで8失点という悪夢のような現実で、接戦は凡戦に早変わりした。
打線は毎回の11安打と今季初めて2ケタ安打を記録したが、連打は1度だけで、つながりを欠いた。5回までに2点差を追いつき、6回2死二塁では好投の栂野に代えて代打、亀井を送ったが、勝ち越すことはできなかった。その直後に投手陣が打ち込まれた。負の連鎖を断ち切れなかった。冒頭の指揮官の言葉通り、試合後には寺内に代わり、中継ぎ左腕、藤田の昇格が決まった。
試合前のミーティングで、指揮官はナインをこう鼓舞していた。「焦ることはない。力はある。必ず自分たちのペース、流れになる時がくる。今は一瞬、一瞬のプレーに全力を注いでくれ」しかし、投打の歯車がかみ合うことはなく、最後まで流れを引き寄せることはできなかった。
4月1日からは中日、阪神というライバルとの6連戦が始まる。クラブハウス前で指揮官は足を止めた。「全力で戦ってこういう悔しい結果になった。ただ、ペナントレースにおいて3連敗は、昨年だって経験している。東京ドームから切り替えて戦います」と声を張り上げた。中日初戦は、エース上原が満を持して登板する。流れを変える好機である。02年は開幕3連敗から頂点に立った。6年ぶりの日本一奪回へ向け、再スタートを切る。
◆1958年の巨人開幕3連敗 ○…4月5日から国鉄スワローズと3連戦。開幕戦でゴールデンルーキー・長嶋茂雄がデビュー。しかし、金田正一から4打席4三振し、チームも1―4で敗れた。第2戦も2―4、第3戦も3―4。だが、5月に6連勝を含む16勝4敗と波に乗り、5月25日に単独首位に立ってから1度も譲ることなく、4年連続のリーグVを達成した。
巨人・原監督「中継ぎは見ての通りですね。(入れ替えは)これから考えないといけない。(阿部は)ペナントレースは長いですから。(欠場は)決まっていたことです。(3連敗は)全力で戦ってこういう悔しい結果になった。昨年だってペナントレースで3連敗はあった。東京ドームから切り替えていきます」
参照元:スポーツ報知