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◆中日1-3巨人(6日・ナゴヤドーム) 巨人の高校生ルーキー・坂本が大仕事をやってのけた。延長12回2死満塁、代打で登場した18歳は中前へ決勝の2点適時打。プロ初安打が天王山となった3連戦の勝ち越しを決める貴重な一打となった。投げては7回1失点の先発・内海の後を受けた豊田―上原―西村で5イニングを無失点リレー。敵地で5時間15分の死闘を制し、クライマックスシリーズ進出マジックを15とした巨人が、V奪回へ弾みをつけた。
詰まった。それでも振り切った。坂本はありったけの力を両腕に込めた。打球はフラフラと上がる。「落ちろ、落ちろ!」内野手の頭を越え、中堅の芝にポトリと舞い落ちた。その瞬間、ベンチ、そしてG党の願った“奇跡”は現実となった。
心の準備はできていた。延長12回2死二塁から小笠原が歩かされたとき、原監督に呼ばれた。「(阿部も歩かされて)満塁なら行くぞ」そして主将も勝負を避けられ、舞台が巡ってきた。カウント2―2から高橋の144キロ、高めの直球をはじき返した。プロ3打席目で生まれた初安打が、決勝の2点適時打となった。天王山第3ラウンド、5時間15分の死闘…。価値を証明する形容詞が次々と浮かぶ一戦を決めたのは、18歳の高卒ルーキーだった。
「気持ちで打ちました。落ちるかな、あっ、落ちちゃったという感じ。最高です」無数のカメラに囲まれ、ぎこちないガッツポーズをつくりながら、まばゆいフラッシュを浴びた。「思いきりいってこい」と送り出した指揮官も「あの場面で期待に応えてくれた。(プロ)1年生ですけど、本人にも自信になったんじゃないですか」と孝行息子をほめあげた。
もちろん、巨人には不動の遊撃手・二岡がいる。だが、故障などの有事を想定した原監督が「そういう状況ならば、今年からでもスタメンで使っていいくらい」と評する逸材だった。しかし、一つ道を間違えば、誕生しなかった。故郷の兵庫から、高校入学の際に青森の光星学院を選んだ。だが、ホームシックから野球をやめようとした。耳にピアスの穴を開けようとした。それでも、1年の冬にチームメートの説得で翻意して以来、野球を続けさせてくれたことへの感謝の気持ちを忘れたことはない。
クライマックスシリーズ進出マジックを15と減らした価値のある白星は全員でつかんだ。先発・内海は先取点こそ許したが、7回まで3安打1失点の力投。若き左腕からバトンを受け取った豊田、上原が2回ずつを投げ、毎回走者を出しながら無失点と踏ん張った。「同点ならば上原にもう1イニング、お願いしようと思っていた」と指揮官も“奥の手”を覚悟した矢先に、高校生ドラフト1巡で入ったルーキーの決勝打。最後は西村が3人で片づけ、プロ初セーブをマーク。野手は控え捕手の加藤以外、全員が出場。まさに総力戦だった。
プロ初安打した記念球は、大事にカバンにしまい込んだ。誰に1番に伝えたいかを問われ坂本は即答した。「お母さんです。寮に帰って報告します」6月に小腸がんで他界した実母・松村輝美さん(享年47歳)の遺影が自室に飾ってある。生前に目の前で放ったホームランボールがささげられているが、供養の品が加わる。頼もしい新星が力強い輝きを放った。
◆坂本 勇人(さかもと・はやと)
▼生まれ 1988年12月14日、兵庫県伊丹市生まれ。18歳。
▼サイズ 184センチ、75キロ。右投右打。
▼球歴 昆陽里(こやのさと)小1年から「昆陽里タイガース」で野球を始める。松崎中時代は「伊丹シニア」に所属。光星学院では1年秋から遊撃手でレギュラーとなり、2年春からは4番を打つ。3年春にセンバツ出場も初戦敗退。高校通算39本塁打。
▼あこがれ 幼少時代から、二岡を尊敬している。「右打者で、しかもショートで、あれだけ大きい当たりも打てる人はほかにいません」と1軍昇格後も、同じグラウンドで練習できることですら感激している。
巨人・原監督「(坂本は)ああいう場面でよく期待に応えてくれた。小笠原が歩かされたとき、(相手が)満塁策を取ることを考え、準備しておくように伝えた。まだ1本目のヒットだし、これから積み重ねてもらいたい。(同点なら)もう1回、上原にお願いしようと思っていた。意義のある大きな1勝です」
参照元:スポーツ報知