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◆日本シリーズ(7試合制)第5戦 中日1―0日本ハム(1日・ナゴヤドーム) 日本ハムの球団史上初の2年連続日本一は成らなかった。第1戦に続き、中4日で先発したダルビッシュは、7回を投げて平田の右犠飛による1失点のみ。史上初の同一シリーズ2試合2ケタ奪三振(11K)もマークしたが、打線の援護なく涙をのんだ。ヒルマン監督は、これでチームに、日本に別れを告げ、来季から米大リーグのロイヤルズの監督に就任する。
しっかりと屈辱を目に焼き付けた。ダルビッシュは敵将の胴上げを立ったまま、じっと見つめていた。「全力は尽くしましたが、負けたのは自分の責任だと思っています」許した失点はわずかに1。それでも、エースは敗戦の責任を一身に背負い込んだ。
第1戦の完投勝利から中4日。蓄積した疲労を考慮して、ノースロー調整でマウンドに上がった。「体力的にはきつかった」直球は1球も球速150キロに届かない。傷だらけの右腕を支えたのは、意地と誇りだった。
悔やまれるのは、唯一の失点シーンとなった2回。先頭・ウッズを左前安打で出塁させると、続く中村紀へのスライダーが高めに抜け、右中間へ運ばれた。二、三塁。1死後、平田の右犠飛で決勝点を献上。「先に点を与えてしまい、相手投手に勢いをつけてしまった」。たかが1点、されど1点。エースの言葉通りに、攻撃陣は山井、岩瀬の前に1人の走者も出せずに終わった。
力は見せつけた。直球が走らない分、スライダー、フォークなど変化球を多投。7回で降板するまで11三振を奪った。同一シリーズで2度の2ケタ奪三振は史上初。計16イニングで24奪三振の力投で敢闘賞を受賞し、表彰式では中日ファンから大きな拍手を送られた。
だが、日本シリーズ敗退という現実を納得できるはずがない。「2007年を振り返って? よく投げたな、と思うけど、最後は1点もやらない完ぺきな投球がしたかった」。今年1月。成人式で立てた誓いは「去年以上」。個人成績はすべての部門で昨年を大きく上回り、プライベートでも女優・サエコ(20)との婚約、そして子供も授かり、すてきな出会いに恵まれた。それでも、昨年と同じ「日本一」には手が届かなかった。
これが日本でのラスト・タクトとなったヒルマン監督については「自分を成長させてくれたし、いい3年間だった」と振り返りながらも、「監督の最後の試合は勝ちたかった。悔いはあります」と唇をかみしめた。次は「JAPANのエース」として期待される北京五輪アジア予選が控えている。この悔しさは、国際舞台で晴らすしかない。
参照元:スポーツ報知